2016/12/31~2017/1/2
12/31 チャンネルを替えながら待つ大晦日
1/1 初湯殿肩を伸ばして陽を浴びる
1/2 神妙に読み返し結ぶ初御籤
2016/12/24~12/30
12/24 去年よりふんわりスポンジイブの日に
12/25 潔く茶わんが割れたクリスマス
12/26 年用意にわとりひよこのあみぐるみ
12/27 届くかな申の贈り物年の暮れ
12/28 数え日や祝日重なる土日かな
12/29 賀状用写真一枚分電池
12/30 小晦日貸切状態朝の道
2016/12/17~12/23
12/17 冬木立枝の先に二羽烏
12/18 冬晴れや換気扇洗い家を出る
12/19 ミニ湯たんぽ意外に活躍手で包む
12/20 甘栗を無心に頬張る冬籠り
12/21 トースター単純さがいい届く冬
12/22 このところ冬暖かな雨の夜
12/23 天照白石の鼻通る冬至
2016/12/10~12/16
12/10 冬うらら近く感じる山混色
12/11 風邪引きにみかんの冷たさのど通る
12/12 マスクの日早く寝ようと準備する
12/13 せめて本ハッピーエンドと寝る寒夜
12/14 成仏をせよとまとめた言の葉を
迷いつつ好きな歌と持ち帰る
12/15 雨上がりほした傘受ける椿かな
12/16 冬灯急いで帰りチョコつまむ
2016/12/3~12/9
12/3 振動を伝えて動かぬ冬の蠅
12/4 雨降りのビルの内側年の暮れ
12/5 風呂上り重ね着を脱ぐ鍋料理
12/6 連鎖して不正の是正年詰まる
12/7 クリスマスビーズつなげて飾りつけ
12/8 冬の朝箱に重なる猫起きる
12/9 肩こりの積った背中風邪心地
2016/11/19~11/25
11/19 銀杏落葉シネマのような人と犬
11/20 動画見てマフラー仕上がる充実感
11/21 千両が豊作のようでめでたいな
11/22 冬の朝地震と聞き起きニュース見る
11/23 北風に帽子手に持ち歩く道
3Dビタースウィート魔法の2時間
11/24 朝時雨ちょっとしんどい仕度かな
11/25 ささやかに来年手帳カスタマイズ
2016/11/5~11/11
11/5 階段を降りる速さの釣瓶落とし
11/6 遠回り本屋の途中花芒
11/7 冬に入るまだ先のような気のままで
11/8 冬初めシュールな博多の道の穴
11/9 お昼にも選挙のニュースアメリカの
11/10 脇道でサンタと出会う11月
11/11 念入りにうがいしてみる風邪心地
2016/10/29~11/4
10/29 本広げ机の上の秋遍路
10/30 料理本明日意識してパンプキン
10/31 秋の夜に土産話と夏の実と
11/1 猫の水替える近くに水引草
11/2 渋柿を捥ぐ声と知る窓の外
11/3 今頃は依然と比較し冬用意
11/4 暮の秋自転車に付ける反射板
2016/10/22~10/28
10/22 星読みに境で探る生まれ時間
10/23 玉手箱開けられつつある銀杏の木
10/24 庭取れの秋ナスはいるカレーかな
10/25 猫撫でて草の実もとる首回り
10/26 一夜明け雨具置いてく秋の空
10/27 熟柿は鳥の品質保証付き
10/28 記帳の列ミレニアムのあった100年間
2016/10/1~10/7
10/1 赤い羽根学生時代を思い出す
10/2 近頃は鳩も群れてる稲木かな
10/3 紙垂揺れる巨大台風予報中
10/4 低気圧湿気張り付く残暑かな
10/5 台風行き空の半分違う色
10/6 秋祭り提灯灯る帰り道
10/7 長月や術後の子猫顔を出す
那覇 2014/11/4
翌日もよい天気です。
この日は三重城へ行きます。
歩いて向かっていると、タクシーの運転手さんに声をかけられ、みえじょうへ行くことを伝えたところ、ミーグスクと言われたので、そうか、城はグスクと言わねばと思う出来事でした。
近くなのでそのまま歩いていきます。
ガジュマルノキと祠と、第十一管区海上保安本部那覇信号所があるようでした。
そんなに昔ではないと思われる同じ場所のblog記事とは随分様変わりしたようでした。
その頃はまだ、祈りの場として海に面した斜面に沢山の何かの儀式やお供えらしいことがおこなわれたらしい蝋燭などの跡が写真に写っていたのですが、柵が取り付けられその場所には行きにくくなっていました。
僅かにその形跡はあったのですが、今では周りのホテルの隙間にある片隅のようでした。
でも、時期と時間が違うだけで、今も祈りの場なのかもしれません。
小さい神社があります。
地図を眺めていて、興味を持った場所だったので、この場所については後から調べました。
白い栴檀草でしょうか。
第十一管区海上保安本部那覇信号所です。なぜか気象台観測の施設と勘違いして思っていたようです。
鳥居があり階段が数段あり昇ると海が良く見えます。
猫がやって来ます。
写真を撮ろうとすると近くまで来るので顔が写せません。
柵の向こうは海です。16世紀に倭寇に対する防壁の長堤があったそうです。
猫はこの場所に詳しそうで、歩くところについてきて、ながめたりしています。
かつては、三重城の中間に臨海寺があり薩摩や中国へ向かう人々を送迎していたそうです。
現在は埋め立て地になっていて、長堤はありません。
柵の途切れたところから斜面に降りられます。
三重城のグソーの正月の新聞記事がありました。
『グソー(あの世)の正月とされる旧暦1月16日の「十六日祭」の23日、県内では家族や親戚が仏壇や墓前にごちそうを供え、先祖を供養する姿が見られた。
那覇市の三重城では朝早くから重箱や花を携えた家族連れが訪れ、宮古島や石垣島などそれぞれの出身離島に向かって供え物を並べ、先祖へ祈りをささげた。 琉球新報 2016年2月24日 』
下を覗くと崖で、海面近くに岩がありますが、その先は深そうな海です。
ところどころ台になる岩やブロックと、何かの儀式の名残があります。
今日も夏の天気です。
琉球舞踊『花風』はこの場所が舞台だそうです。
「琉歌 三重城にのぼて 手巾上げれば 速船のならひや 一目ど見ゆる
対訳 愛しい人を見送るために、三重城に上って、手巾を持ち上げて打ち振ると、船足が速くて一目しか見えない。」
『おきぽた』より
引き返そうとしていたら不思議な格好の女性が現れて、ジャーマンなんだろうかと思いつつ確認できないままその場所から移動します。
昇った階段を降ります。ガジュマルの木と水のある場所があります。
水の神が奉られた拝所です。
来た道を引き返します。行きに見かけてドアがしまっていた、戦争の写真展が今度は開いていたので、中に入ります。
沖縄での戦争の様子や慰霊碑の写真。県か作っているのか、それぞれ犠牲になった県ごとに慰霊碑があり、またひめゆりの塔以外にも花の名前のついた慰霊碑や男子学生のもあると知りました。
他にはなにも写ってなくて十字架が沢山ならんでいる写真もあり、当然のことながら、戦争の対戦国の犠牲者もいて埋葬された場所の写真でした。
写真展の写真撮影は禁止で、展示されている写真はアメリカから借りたもので、本当はもっと悲惨で残酷な写真も沢山あるようでした。
首里城のガマについても教えていただいたのはこちらで、沖縄の方言は、平安時代かいつごろだったか、却って昔ながらの日本語が残っているともお聞きし、面白いと思いました。
この日は、帰る日です。
時間に間に合うように空港に向かいます。
売店で珍しい山羊のミルクや紅いもソフトなど売られていて食べてみました。
帰りは晴れていて、出発してからや着陸が近くなると地上がよく見えていました。
もうすぐ到着です。
稲刈りの終わった田が見えています。なじみのある11月の景色を上空から眺めます。
無事、旅が終わりました。