2017/9/27 わかやま国体
レスリング会場は賑やかです。
日曜日は開会式が9時30分。フリースタイル試合(1・2回戦)が10時から15時まであります。キッズ・ジュニアレスリング教室は15時から16時まで行われる予定です。
入場行進があります。
海のそばの会場です。
オリンピックに向けての激励や活躍の映像などあります。試合が始まると緊張しながら応援です。
女子レスリングの活躍がめざましいので知らなかったのですが、国体の正式種目にまだなっておらず、レスリングの女子選手が訪れて挨拶をしていました。正式種目になるそうです。それで女子選手の入場や名前がないのかと気がつき意外でした。
キッズ・ジュニアレスリング教室です。講師は松永共広・吉田佐保里・伊調馨他活躍中の女子選手が参加しています。
会場の外には記念品売場やおもてなしコーナーがあります。
宿泊所のある宇久井半島へ。
周囲を散策します。ヤブツバキ群生地を通り海が見えてきました。
『南紀の特色でもあるリアス式海岸が続く中、宇久井半島は黒潮を感じさせる力強い荒波の外海と、港を持つ穏やかな入り江の内海の2つの表情をみせます。外海 では、外洋からの大波が直接打ち寄せて来るので岩礁海岸の岩が皆丸く削られ、改めて波の持つエネルギーの凄さを感じることができます。(宇久井海と森の自然塾運営協議会)』
陸繋島の太平洋側の海です。
別府 由布院 2015/8/10
翌日もよい天気です。
金鱗湖へ向かいます。
あちこちお店を覗きながら歩いていきます。
大勢の人です。外国人観光客も多いようです。
『由布院の自然豊かな場所にある金鱗湖(きんりんこ)は、湖底の一部から温泉と清水が湧き出る不思議な湖です。
由布岳の下にある池ということで、大分なまりで「岳ん下ん池(=岳の下にある池)」と呼ばれていた湖は、1884年(明治17年)に儒学者の毛利空桑(もうりくうそう)が、湖の魚の鱗(うろこ)が夕日に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けたと伝えられています。
秋から冬の早朝に見られる朝霧はとりわけ美しく、霧の正体は温泉を含んだ湖が蒸気したものと言われています。湖の周りには散策路が整備されており、澄んだ湖面からは、魚や水鳥が泳ぐ姿を眺めることができます。また、紅葉スポットとしても知られています。(大分県観光情報サイト)』
共同浴場です。地元の人の温泉もあるようでした。
山際を通って行く途中階段がありました。
嶽雲庵の六地蔵塔の案内があります。
天祖神社へ行きます。
神社の鳥居が水の中にあるのが珍しいです。
神社の両脇から由布岳から湧き出た水が流れているそうです。観光地化される前は村人たちが浄水を汲みに来ていたそうです。
金鱗湖を一周します。
温泉があります。
水が湧いている場所です。
夏なので霧は見られませんでした。
夏の景色もきれいです。
山下清原画展へ行きます。
昔よくみたテレビのイメージが強かったからか、原画をみて驚きました。
実際に見られてよかったです。実物はとても細かく繊細な暖かみのある作品でした。
作品を見たり記事を読んだりしていると、晴れた日に線路沿いに延々と歩いて行く姿が浮かぶようです。
そこに当時のある新聞記事が張られていて、芸能界やメディアやマスコミなど、そのなかにあって消費される児童の人生や、特殊な才能をもった山下清のような存在にとっておこる問題についてかかれていたのですが、なんだかもっともだとしみじみ思うようなよい記事だと思いましたが現代と変わらない問題でもあるようでした。
再びあちこち気になりながら駅まで向かいます。
ロールケーキのことを忘れていて食べ損ねてしまったのをあとで気がつきました。色々あるお土産物も美味しそうです。
湯の坪街道を歩いていきます。大勢の人です。
由布岳が見えています。
再びバスに揺られて別府まで戻ります。
昨日登った由布岳そばを通ります。今日もきれいに見えています。
夏山やカーブで起きる帰路のバス
別府駅に到着です。帰りの船で読もうと本屋へ寄ります。
島田荘司の本を選びました。『透明人間の納屋』です。昔熱心なファンだったので読んだことのある本でした。
その当時は主人公の視線からのみ読んでいて不思議な話と思っていたのではないかと思いますが、あれから月日が経ちまた違う印象をもって読んでいくうちに涙が止まらなくなってダメでした。
船に乗っているときそれをみた若い人が「自分がいかんのやろ」というようなニュアンスのことをほのめかしたようでした。
たしかに私はその頃とても辛い思いをしていて、ある言葉もたまに唱えながら読んでいたけれど、そのとき泣いてしまったのはその本を読んだからです。
対岸に到着です。帰りは岬側に乗船していたので、随分と長くずっと見えていました。
由布岳 2015/8/9
翌朝は屋上にある露天風呂へ。よい天気です。
この日は由布岳へ登ります。
どうして由布岳に登るかというと、以前引いたおみくじは万葉集からの和歌が書かれていて、調べていたら万葉集に由布岳が登場すると知り登ってみようと思い立ちました。
別府駅からバスで登山口まて行きます。由布岳に登る予定らしい人も見かけます。
登山口です。
あとから牧草地と知るのですが、視界が開けた緑の草原の向こうに由布岳が見えています。
「娘子(をとめ)らが 放(はな)りの髪を 木綿の山
雲なたなびき 家のあたり見む 」
巻7-1244 作者未詳
「 思ひ出づる時はすべなみ豊国の
木綿山雪の消ぬべく思ほゆ 」
巻10-2341 作者未詳
道を歩いて山の麓まで。
ここからは雑木林です。バスで見かけた女性の背中もみえます。
巨大な石が時々現れます。
巨石文化の名残かもしれないと興味深いです。
由布岳周辺の米神山などにも巨石群やストーンサークルがあるようでした。
合野越です。少し休憩します。
ウツボグサ
大勢の人で連なって道を進みます。
やがて再び視界が開け地図を見るとジグザグの道を進みます。
山の上は登りはじめ雲がかかっていましたが、見晴らしは良いです。
山の形が作られたようなきれいな形だと思いました。
サイヨウシャジン
キバナカワラマツバ
段々と飯森ヶ城が小さくなって見えます。
やがてゴロゴロした石の広い坂を登ると東峰と西峰の分かれ道です。
斜面を見上げます。急です。
イヨフウロ
東峰を見上げます。今日登ろうと思っていました。
坂を登って行ったところがマタエです。
東峰 1584m 西峰 1583.3m
西峰の登り口を見上げます。
マタエから西峰の斜面です。
東峰の登り道です。
低い丈で蛍ぶくろがきれいに咲いています。
花の名前の由来がおもしろいです。
ホソバシュロソウ
ひと休みして前日購入していたパンをお昼に食べます。
日焼け予防に昨日はビタミンCを多目に摂りました。
東峰へ昇ります。
山頂です。バスにのっていたときトンボが一匹フロントガラスの前を飛んでいましたが、こちらでは群で飛んでいました。
大勢の人です。記念写真を撮っていただきました。
キオン
せっかくなので昨日の記念の白地に赤の文字のTシャツをパーカーの下に着ています。
キマワリ?
東峰から西峰方向の眺めです。
東峰の山頂は大勢の人で賑やかです。
山頂からの景色です。
東峰を降りて、どうしようかと思ったのですが次の機会があるかわからないので、西峰へ昇ります。
険しいと事前に調べて知っていたのですが。
西峰から東峰の景色です。いつの間にか濃い霧が出てきました。
鎖場で大きな荷物を背負った集団の人達が降りてきます。待ってたら、場所は忘れてしまったけれど、本州の難所のだとか高い山に登りに行くので練習をされていたようです。
挑戦します。荷物が重いかとリュックを置いて斜めがけにしたガバンを身に付けていたのですが、重心が動いてよくないとわかりました。
西峰の写真は登るのが難しかったので少な目です。山の谷間は霧が出てきて回りが見えなくなって幻想的な感じになります。
東峰に学校の課外授業なのか部活の遠征なのか学生たちが登って行く姿が見えます。その内、私の名前はそう言う名前じゃないんだけどなあ...という掛け声が聞こえてきました。
ホソバノヤマハハコ
気温は32度ぐらいでしょうか。真夏日です。
山頂です。
お鉢巡りはせずに再びもとの道を引き返します。
緑が鮮やかて日差しがまぶしいです。
山頂付近でアサギマダラだとおもうのですが飛んで来ていました。
随分と高い位置を移動していくようです。
しばらくいたのに写真は撮り損ねてしまいました。
由布院が見えています。
ツクシアザミ
鎖場の方にいかなければならないとき別のところを降りそうになり、ちょうど登ってこられた方に声をかけていただき気がつきました。
反対側が降りていく場所です。見ると身軽そうな若者たち、学生の中の希望者なのか、余裕でスルスル登って振り返って記念撮影をしています。
自分が降りるとき、怖くて身がすくんだのですが、しゃがんで下を再び眺めるとよし、大丈夫と思えて平気になりました。
無事おりられました。
いつのまにか霧は晴れています。
下るとき、時々は人とすれ違っていたのですが、その内全く誰もおらず、何の音もせず、普段無数に飛んでいるのかもしれない電波もなく、そのときはその事にも気がつかず一時まったくの無心で歩き続けていました。
最近無縁だった静寂とはありがたいものだなと思い、山に登ったご褒美だったのかもしれません。
静寂からさめ再び雑木林を進みます。
バスが気になってまだ見えない位置だけどまっすぐいけば登山口があるので急いでいたら、転んでしまいました。
柔らかい土の上だったので平気でしたが、急がなくてもまだまだ来ないといわれた気がします。
日陰でバスを待ちます。その間も登山者を見かけます。
バス停では飲み物が買えず、ペットボトル1本しかもっていってなかったので、由布院に着くとまず水分補給です。
それからコインランドリーにいきその前に事前に調べていた近くの温泉に入りに行こうと思ったら閉業していました。とりあえず洗濯をします。そしてご飯を食べようと近くの店に入ります。
あまり食欲はなかったのですが塩分はとった方がいいかと、雑炊とかき氷、それからすでにそれまでも何本か飲み物を飲んでいたのですが、喉が渇いて仕方がなくてひたすら水を飲んでいました。もしかしたら熱中症になりかけだったのかもしれません。
ウォータークーラーの減りがやけに早かったのはきっと私が原因でしょう。フリードリンクのお店でよかったです。とてもありがたかったです。
宿に向かいます。由布岳が見えます。
宿に到着です。可愛い部屋です。この日はタイミングよく他に人がおらず温泉は貸切状態です。
水を出した時にきれいな音がして、まだこの辺りは水がきれいなのだろうと思いました。
2017/5/27~6/2
5/27 前当てたさつきのつぼみ全部咲く
5/28 はじめての昔の記事を読み耽る
次にしようと止まらず夕焼
5/29 栴檀はまだ咲いてるかと道変える
5/30 川底を歩ける水曜夏の草
5/31 匂い付きブローチのような梔子
6/1 神鳴や風呂の中で身構える
6/2 十薬のまた増えている通り道
別府 『BONE TO RUN 2015』 2015/8/8
今回は『BONE TO RUN 2015』へ行くため、別府、由布への旅です。
明日の朝、船に乗るため前日港近くに宿泊します。夕暮の駅です。
普段、旅に出る時は、どこからその元気が出てくるのだろうというくらいあれこれ詰め込むのですが、今回はなんだか異様な疲れが抜けず、途中、普段飲むことのない軽めの栄養ドリンクを飲んでみたのですが、効果のないまま翌朝になります。
船に乗ります。大勢乗船しています。
到着です。良い天気です。
別府タワーへ。
展望台からの眺めです。地上高さ90mです。
「建立 1957年、設計者 内藤 多仲(ないとう たちゅう)、構造 風速160mの超台風にも堪え得る構造、呼称 「観光センターテレビ塔」から1961年に「別府タワー」になる。」
港と船が見えます。
設計者は「耐震構造の父」と評され、別府タワーの兄弟たち、名古屋テレビ塔、通天閣、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーも設計し、タワー建築物で「タワー六兄弟」と呼ばれている紹介がありました。
地獄めぐりをしようかと、一旦、ツアーバス乗り場に向かうのですが、時間帯が合わず、そこまでの元気がないようなので、変更します。
いろいろ行ってみたい温泉はあるのですが竹瓦温泉へ。
お昼を食べようと、ガイドブックに紹介されていたお店を探すのですが、どこにあるのかはわからず、竹瓦温泉の裏?のすぐ周りが、観光地ではないかと思われるのですが、風俗街のようでなんだか驚きました。昼間なので人気はほとんどありません。引き返す時に同じように店を探しているのかと思われた観光客らしきカップルを見かけたのですが、探せたのでしょうか。近くにあった喫茶店で郷土料理のとり天とだんご汁、やせうまのセットいただきました。
砂湯は時間で入れ替わるのですが、すでにいっぱいだったので予約をしておきます。趣のある休憩所でぼんやりと高校野球を眺めながら待ちます。そのうちカラフルなTシャツを着た人達が現れ、おもしろいイラストだなと思っていたらクロマニヨンズと書かれていたので、今日の「BONE TO RUN! 2015」へ行く予定のようです。
砂湯へ。デトックス、デトックス、元気になる~と思いながら砂に埋もれます。出た後は、血色がよくなっているようでした。温泉の建物から出ると、入り口付近で地元の情報番組ではないかと思われる撮影がされていました。
竹瓦小路です。日本最古の木造アーケードだそうです。竹のオブジェが涼しげです。時間が来たので、マッサージを受けに行きます。あまりにも疲労しているようだったので、予約していたのです。背骨に添ったソフトな指圧でその時の自分にあっていたようで、気付いたらウトウトしていました。
買い物を済ませ、チェックインの時間になると直ぐに宿へ行き一休みします。
夕暮れ時、だいぶ元気になったようです。大きな公園を通り、
ビーコンプラザへ。まだ外は明るく暑いです。飲み物を買おうと自動販売機へ並びます。前に並んでいた男の人二人が、今日の曲について予習がどうの~と話しているのが聞こえてきて、なんだか引っかかる感じのいい方に聞こえ、音を楽しみに来て勉強みたいだなあと思い、今日の演奏はベテランぞろいだから、そういうことは関係なく十分楽しめるのではとも思い、実際そうでした。飲み物は冷たいのを選んだはずが、見事にぬるくどこもそうだったようなので、どこかで買ってきておけばよかったです。
席はスタンド指定席2階です。隣の席は音楽好きのお姉さん(という感じの方)で、いろいろ行かれているようです。関西方面から今日来られたそうですが、大阪から博多までなど距離があっても移動が便利で早いのだなと思いました。どのグッズを持っているかで誰のファンかも教えてもらったのですが、上から見る限りまんべんなくあちこちにいるように見えました。
時間がたち、ネットで検索し、あれこれそうだったなあと思い出しながら書いています。
スピッツ 偶然部屋で付けたテレビで、初めて音楽専門チャンネルでMVを見たのが、スピッツで、緑の草原を背景に歌っている姿だったと思い、先ほど結成30周年のシングルコレクションアルバムを見ていたら『空も飛べるはず』だったのかと思われ、違う曲だったのかもしれないけれど、オリジナルリリース日:1994年4月25日となっていたのですが、その頃と変わらない印象を受けました。今回、テレビ越しではなく現実で、この曲は歌われてなかったですが、聞きました。「現代のシャーマンはミュージシャンや漫画家である」としたら、大変な出来事が起こったとき、何かを受信してダメージを受けたのかも知れないとき、大丈夫なんだろうなと思ったのは、力の強いえらい女神様に守られてるんだろうなという感じがしたからかもしれません。
クロマニヨンズ 前の方で、ギュウギュウなって盛り上がっているのが良いようでした。モッシュゾーンから離れていても熱気が伝わってきます。夜になるにつれ元気が回復し、飛び跳ねます。
斉藤和義 MCでロバの話があったのですが、ある年の動物園での象の近くでの出来事がフラッシュバックします。曲はとても丁寧に演奏されていたように思いました。
昼間見たTシャツいいなと思い見に行ったのですが、ほとんどのグッズが完売のようでした。
会場を出て、掲示板に夏の日差しにさらされたポスターが貼られています。
セットリスト 出演順
スピッツ
01.恋する凡人
02.メモリーズ・カスタム
03.涙がキラリ☆
04.ありふれた人生
05.インディゴ地平線
06.チェリー
07.8823
08.野生のポルカ
09.運命の人
10.けもの道
1.ナンバーワン野郎!
2.炎
3.流行のクルマ
4.ギリギリガガンガン
5.エルビス
6.ウォルターに一撃
7.エイトビート
8.弾丸ロック
9.グリセリンクイーン
10.突撃ロック
11.紙飛行機
12.雷雨決行
13.タリホー
14.クロマニヨストンプ
1.ずっと好きだった
2.ドン・ウォーリー・ビー・ハッピー
3.傷口
4.攻めていこーぜ!
5.ハミングバード
6.I Love Me
7.やさしくなりたい
8.Hello EVerybody!!
9.ベリーベリーストロング
アンコール
10.Go!Go!Cheryboy!
11.歩いて帰ろう
別府タワーを目印に歩いていたので、気付いたら沢山写真を撮っています。
宿に戻り、しばらくして温泉に入りに行くと、大変混んでいました。会場から距離があるのに、同じ時間にこんなに混んでいるとは! もしかしたら普段からそういう趣味なのかもしれないけれど、下着までファンの人たち同士でお揃いできめてきてるのかなと思うような人達もいました。
夜には元気になり、来られて良かったです。
2017/5/20~5/26
5/20 夏帽子あご紐締めて自転車で
5/21 金宝樹夕焼と同化二分間
5/22 夏の空曲線たどる深夜かな
5/23 老木に木耳見つける雨の後
5/24 剪定を逃れた枝に山桜桃
5/25 曇り空つられて鳴き出す雨蛙
5/26 目を凝らすバケツ目高の子を探す
吉備の中山 2015/4/5
翌朝も雨です。
川沿いの桜が見事なので、川沿いにお城のそばまで行き、駅まで歩こうと思います。
なかなかの降雨です。橋を渡ります。
後楽園沿いの桜並木が見えています。
オオバンがいました。
桜の雲の隙間からお城が見えます。
雨は小雨になりやがて止んだようです。
岡山城が見えます。
道がピンク色です。
先ほどまでの雨で出来た大きな水たまりに花弁が浮かんでいます。
旭川に天守閣付近の景色が映っています。
午前9時半頃です。
提灯やぼんぼりがあります。
花盛りです。
鳥がいます。
陽が射してきました。
烏が止まっているのも見かけ、向こうに烏城も見えます。
花の雲に浮かぶお城です。
先ほどまで、朝の散歩の人を見かけるくらいだったのですが、だいぶ人が多くなってきたようです。
さくら さくら さくらという感じです。種類はソメイヨシノです。
水滴がまだ残っています。
東岸約1km続く桜並木だそうです。
通ってきた方角を振り返ります。 後楽園の駐車場近くに来ると混雑していました。
岡山駅まで向かいます。
桃太郎がいました。
何か思案しているようです。
電車で吉備津彦神社近くにまで行きます。
アンパンマン列車を見かけます。
カレーパンマンが見えます。
到着です。この日は、偶然にも桃太郎と戦ったウラの花祭りの日でした。
吉備津彦命が祀られています。背後の中山は「天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。」 「夏至の日には太陽が正面鳥居の真正面から昇り、神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきた。」(吉備路周遊マップ 岡山市より)
『御神名と五行 古代中国で誕生した五行思想では、万物は木・火・土・金・水 もっかどごんすい の5つの要素からなり、それらが互いに影響し合い、変化・循環すると考える。吉備津彦神社では、御神名「キ(木)ビ(火)ツ(土)カ(金)ミ(水)は、大自然の核を形成する五行を示す」と唱える。』
時間が遅かったからか、雨で中止になったのか終わっていたようです。
神社にお詣りするときは、月の障りがあるときは避けた方がいいと知り、月の引力なのかなってしまいどうかと思っていました。
他の神社にもお詣りに行くときはうまく避けられた時もあったのですが。
お参りします。おみくじは桃の形をしています。
温羅神社です。
残っていた花祭りの露店でお握りを買って食べました。
山に登る前、トイレに行くと、入ろうとした個室で流されないままの茶色物体が目に入り、流して場所を変えます。
その期間というのは神様にとってもしかしたらそういう感じなのかもしれないと思いました。体内にあるときは必要なものでも。
吉備の中山に続く山の入口に向かいます。
こちらも桜が綺麗で、桜の絨毯です。
成親供養塔です。
観光案内所でガイドブックとして置かれていた『おかやま桃太郎ものがたり吉備津彦と温羅』阿村礼子・作 夏目尚吾・絵 を前日読みすっかりウラのファンになっていたので花祭りの日にこられてよかったです。
その絵本のなかに「温羅さんは、私が作ったきび団子がこの世で一番好きなんですって」とのちに夫婦になった阿曽媛の台詞があり、桃太郎は桃の不思議な力と活躍していましたが、きび団子はうらの好物のようでした。
山を越えてたどり着いた先に吉備津神社があり、ウラの首が埋められた吉凶を占う釜があります。山はきれいにされていました。
ウラのお墓があります。山を登って行きます。
脇道に入り、まずは岩倉のある方向へ向かいます。「まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ」古今和歌集
『枕草子』には神が宿る山(神奈備山かんなびやま)とかかれているそうです。
本宮磐座です。
注連縄が張られています。
龍王山です。
昔雨乞いの儀式がされていた場所に出て視界か開けます。UFOが出現する場所があるという場所はこの辺りなのかと思いながら行ってみました。さらに進み下っていくと大きな石がまつられていました。磐座の写真は先にになりました。
八大竜王です。
経塚です。
さらに進み反対側に出ると山の斜面にでて記念碑があります。
天柱岩です。
天柱と刻まれた文字が見えます。
山から吉備線のあたりが見えているようです。
引き返すとき雨の後で湿った道をロープに掴まりながら慎重に上ったのですが滑ってポケットからカメラが飛び出し今までなかった傷が入ってしまいました。
壊れてはおらず、大丈夫でした。
後から、その期間お参りして、派手に転んでしまい、でも怪我はなかったのですがなぜなのでしょうかと神様に尋ねたら、代償として転んだというようなことだったのを、霊感のある人の文章で最近になって見かけてその事を思い出しました。
蝶がひらひらと飛んでいます。
元の道に戻ります。ノグルミの木があります。
元の道に引き返し進みます。不思議な岩が沢山ありました。
お休み岩です。不思議な世界に迷い込んだようです。
山道を進んでいきストーンサークルがあります。環状石籬の案内があります。
「縄文時代の祭礼や埋葬の儀式に関連してつくられたものと考えられています。」
「しかし、秋田県や青森県のものとは少し異なり、専門家の中には環状石籬とする考えを疑問視される方もあります。」
「しかし、この場所からダイボーの足跡に続く一帯は比較的平坦な地形であり、周囲を海に囲まれた古代にあっては、
大切な生活空間であったと推測され、当時この場所でどんなことがいとまれていたのかと、いろいろ思いをめぐらすと楽しい想像がいっぱいに広がります。」一本道を進んでいきます。さらに不思議な空間があります。ダイホーの足跡や、八畳岩です。
八畳岩磐座 「この場所には大小の岩が数多く並んでいますが、その中央にある一番大きな岩が八畳岩です。この岩の天井部は平たく畳八畳ほどの広さがあることから「八畳岩」と呼ばれています。
八畳岩の北側根元部分の土中から、かなりの数の土師器の破片が採取られたといわれています。古くは祭祀が終わると使った器は割って土の中に埋めたと言われており、この岩が神様の憑代として、ここで神祭が行われていたことがわかります。毎年5月の「磐座祭」ではこの場所でも祭祀が執り行われます。」
ダイボーの足跡です。
「大きなお坊さん(大坊)の足跡と伝えられる窪地です。縦横とも20m位の広さがあり、深さは1.5mほどの浅い池だったと考えられていますが、今は浅い窪地で水も溜まっていません。この窪地は自然のものではなく何らかの目的によって掘られたものと思われますが、その目的も造られた時代もよくわかっていません。」
ナナミノキがあります。雨でぬめってなにかの生物のように感じます。
石舟古墳群があります。
日当たりのいい開けた場所です。
花祭りなので何をしたらいいのかわからなかったけれど、咲いていた花をつんでお供えしました。
そこが花祭りの場所なのかとおもっていたのですが、さらに進むと御酒などがそなえられている石舟古墳がありました。
古墳がいろいろあります。斜面を下りていきます。
「この古墳は6世紀頃に造られた横穴式石室で、石室の長さは5.33m。幅は1.6m、高さは1.2mで石室の内部には石棺が納められています。この場所は吉備中山の東南に位置し、尾上の集落を見下ろす山腹にあります。
この古墳の被葬者は、古墳時代後期の吉備地域における有力者であったと考えられますが、吉備津彦命に敗れた温羅の墓だとする伝えも残されています。播磨国の竜山石を刳り抜いた石棺の中には、いつもきれいな水がいっぱい入っています。昔から石棺の水は潮の干潮によって、その水量多変わると伝えられています。」
こちらのようです。花祭りってなんだろうと2016年の春頃、歳時記を眺めていて気になり、ネットで検索して『花祭り』という陰陽師の漫画が見つかり、読みました。
元の道に戻り柵の続く道を通って行きます。
穴観音があり、自由にお参りできるようになっていたので柵にある扉を開けて入っていき案内を読んでいたら、それまで風など吹いていなかったのに、突然いっせいにバサバサと古い木の葉が雨のように降ってきて不思議な体験でした。
「昔からの言伝えで側面の穴に耳をあてると観音様のお声が聞こえると言う俗信仰があって、昔から縁日には参拝客が多い。」
昔岡山平野が吉備の穴海だった昔からある場所のようでした。吉備津神社に近くなります
自然石に仏像があるようですが風化が烈しいようです。五世紀ごろからあり原始的祭祀行事の場であったようです。
お参りをおえます。まっすぐ進みます。
中山薄茶山古墳につきます。
昔来たことがある場所のような気がしますが、別のにた感じの古墳を思い出したのかもしれません。
近くに広場があり、桜の木が周囲に植えられていました。
満開の桜が桜吹雪になっていつまでもいつまでも続き今までみたことのない幻想的な景色でした。
花さそうあらしのにわのゆきならでふりゆくものはわがみなりけりと思い浮かんだのですが、ふりゆくは古りゆくではなく、文字どうり自分の身が降っていき花吹雪の中に入っていくようでした。
写真だとそれほど吹雪いてないように見えますが、すごかったです。
『鎮花祭』のマンガに書かれていたのは、
「大和の鎮花祭は大神(おおみわ)の狭井(さい)神社で行われる
主神は大物主
鎮花祭(はなしずめのまつり)は疫病除けの春の行事
散る花にのって四散する疫神を塚に鎮める祭祀
京のやすらい祭では御霊会と合一される
御霊(ごりょう)ータタリ神」
このマンガは陰陽師の話です。陰陽道における祭神は泰山府君(たいざんふくん)死を司る冥府の神。
「疫神 御霊 塚 冥府 花の祭というわりには祀るのは土気に関するものばかりだ
鎮花祭には死のイメージが濃すぎると思わないか
鎮める対象が花だとは考えにくい むしろ花を持って土を鎮めると考えた方が脈絡がとおる どういうことだ?」
「陰陽道は迷信でも超能力でもない 理論だ
陰陽五行において花は木気だ すなわち」
「木剋土(きはつちにかつ)?」
「そう!だから問題は」
最後の方の話に進み「この鎮花祭のほんとうの目的だからだ」「ほんとうの?なんだよそれ!? どういう意味だ!?」--
「桜の木...?こんな地下に」「木じゃない その向こうだ」「な なんだよ あれは!?」「あれが塚の主だ」「主...?大物主か?泰山府君か!?」「名はなんでもいい 地の底にあって土気を司るモノの一部だ」「い...一族が祀っていたのモノってあれなのか? あんな化け物を何のために?」「土気を祀ることは金を生ずることだからだ 土生金ー五行の理はしってるだろ」「それくらい俺だってーあ じゃあもしかしてマンションの死霊は...」「人間の屍は土気への供犠として最高のものとされているからな」「土気を強めてより多くの金を生じさせるための呪術だ」
ーー「土気は金を生ずる けれど土気が強くなりすぎれは死の禍をまねくようになる だから木気をもって土気を封じる 木剋土の理だ あそこにあったのはそのための桜の木とそれを祀る(コントロールする)桜の守だ」この話はハッピーエンドで終わります。桃が重要な役割をはたしていました。むかし、雑誌の五行占いで木だったことを思い出しました。この日にここに来たことは全くの偶然でもないなにかの作用があったのかもしれないとも思われました。
階段を降りて細谷川沿いに進みます。吉備津神社に到着です。大吉備津彦命が主祭神として祀られています。
ボタン園があり廻廊が見えます。
この頃、よくテレビで吉備津神社の番組を見かけたので、なんだかイメージと違うように感じたのは、旧社務所のあった方角から入ったからのようです。
間違えて入ったのがと思い、急いで一旦本殿の方に向かい、そちらから入り直してお参りしました。途中、御釜殿があったので、先に行ってみると、ご祈祷の受付時間は過ぎてしまっていたようです。
南随神門です。
比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)の本殿です。
お参りをします。 樹齢約600年のいちょう神木です。猫がいました。
先ほどの花吹雪で本殿南の長い廻廊沿いにある、石灯籠の並ぶ土の上は一面桜の花びらに埋め尽くされていました。
「鳴釜神事」の行われる御釜殿です。以前読んだ雨月物語を思い出します。
桜と廻廊と本殿です。
廻廊は約400m続くそうです。
こちらでも猫を見かけます。
通路を見通せた瞬間の廻廊です。
本宮社です。
細谷川の記念碑です。
廻廊の端です。通ってきた細谷川沿いにある滝祭神社が見えています。
狛犬と廻廊の入口です。
旧社務所がある場所の近くにある鳥居です。
お参りを終えて吉備津駅まで向かいます。道の途中に栄西禅師の生誕地跡がありました。『喫茶養生記』を著し、以前、聖福寺でゆかりある茶の木が植えられていたのを思い出しました。
帰路の列車の車窓から吉備の中山を眺めました。
岡山 ムーミン展 2015/4/4
今回は、不思議なこともあるものだと思った旅でした。
地元でもムーミン展がされていたのですが、行こう思った日が天気が悪かったり行く気になれなかったりして先のばしにしているうちに行きそびれてしまいました。
でもやっぱり気になって調べると岡山県立美術館でされていて、前から気になっていた吉備津神社と吉備津彦神社にもお参りしようと行くことにしたのでした。
よい天気です。
憂鬱げなムーミンのイラストが美術館の壁面にあります。こちらは写真が撮れました。
ムーミンの本は子供の頃読んで、大人になってからも気になった話があり、何巻目かを読み返したのですが、新鮮に面白かったです。
イラストが並んでいます。出口付近でジオラマがありました。
ミュージアムショップでガチャガチャを回します。
ムーミンとスナフキンのイラストの額縁のマグネットが出てきました。
この日は記念講演会「トーベ・ヤンソンの知られざる素顔、魅力、思い」講師:渡部 翠(フィンランド文学翻訳者)があることを入り口の案内で知り、時間に間に合うように移動します。
すり鉢状の会場です。
作者の思い出やスクリーンに夏の無人島での生活の番組などが写し出されます。
トーベ・ヤンソン生誕100年を記念に、歌を歌うのですが、別に普段だったらそんな風にはならない歌だったと思うのですが、塞がっていた胸の何かが解けて通っていったのか涙がボロボロこぼれて止まらなくなりました。
別に泣くような内容の歌ではありませんでした。
いつか忘れてしまうかもしれないので、曲を書いておくと、フィンランドのフォークソングで、 264.Lapsuuden toverille 初恋の君よ。 アレンジ作詞・渡部 翠 です。
1.野原にたたずむ君は、 可憐な花だよ。
三つと五つで出会って、少女の君と、
十五で離ればなれになってしまったんだ。
2.奇跡の再会だったね 夢のようだよ。
二度と再びこの手を、離しはしないよ。
二人で、いついつまでも、幸せに暮らそうね。
フィンランドでバースディソングとして有名な曲だそうです。
他の美術館の作品も鑑賞しました。
近くに岡山神社がありお参りします。
川沿いに桜も咲いてよい天気です。
岡山駅の観光案内所で資料を色々探します。桃太郎の絵本もありました。事前にネットで自転車で史跡巡りができると知り、明日はそうできたらいいなと思っていたのですが、分かりやすい地図も置いてありました。
この日は皆既月食で、天気が良ければ見ようとおもっていたのですが、雨が降ってきたようです。
観光案内を眺めます。自転車で回るのは難しいかもしれないと思っていたら、吉備津神社と吉備津彦神社とを結ぶ道が山にあるようで、こちらにいってみようと思いました。