朧月夜と春の海

本の記録 学習ノート おもしろかった事 その他   

2017/9/30~10/6

9/30 をとこえし極楽橋からいろは坂

     歩いて順に奥ノ院御廟

10/1 十月の結縁灌頂花落とす

10/2 秋の雨朱が増すような山の上

10/3 栗と藷茹で上がる朝楽しみに

10/4 仲秋の名月眺め本屋まで

10/5 風邪をひく掃除のようなせき秋夜

10/6 たかはりの声金木犀まだ咲かぬ

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2017/9/23~9/29

9/23 おはぎとり秋分気づく日の終り

9/24 漂って開けずに気づく青みかん

9/25 シャンシャンとパンダの名前決まる秋

9/26 秋祭り年々濃くなる気配かな

9/27 曼珠沙華車道側に傾いて

9/28 電線と同じ長さで続く紙垂

9/29 寝る仕度済ませ秋灯バスを待つ

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2017/9/16〜2017/9/22

9/16 おさがりの服品定め木染月

9/17 秋の蟬台風せまる午前中

9/18 休みなく洗濯機まわる秋高し

9/19 入れ変り桔梗気づく空いた箇所

9/20 一粒が疲れに効いたぶどうかな

9/21 寄りかけて沈む境内秋の暮

9/22 秋の昼いやな予感のじんましん

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博多 小倉 2016/7/17 ①

    翌日は大濠公園福岡城、美術館、夕方から小倉祇園太鼓の予定です。 

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よい天気です。地下鉄で移動します。

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堀沿いに福岡城に進み鴻臚館跡があり見学します。

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  古代(飛鳥・奈良、平安時代7世紀後半から11世紀前半の約400年間)の迎賓館に相当する施設だそうです。f:id:oborodukiyo22:20160717104151j:plain

  堀の外側にはトイレがあり、展示スペースは随分あり画期的なことだったのかもしれません。

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  清潔は美徳であると少し前に本で書かれた箇所を読み、この頃から既に公衆衛生が大切にされていたようだと思いました。

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    大部分は空き地ですが、発掘した場所を展示館でみることができます。

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    当時の航路の紹介や陶器もありました。 

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  長くどこにあるのかはっきりしていなかったようですが、大正時代に万葉集の古歌をヒントに福岡城内で古代の瓦や中国陶磁器が採集されます。

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  昭和62年、平和台野球場外野席の発掘調査で鴻臚館の遺構が発見され中山説が裏付けられたそうです。

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  中国、朝鮮、西アジアイスラム系陶器や、ペルシャ系ガラス器の出土品などがあります。

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  国際港湾都市福岡(博多)の原点だそうです。

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 青磁 灯明皿です。

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 きれいなまま残っています。

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 マンガ『うつほ草紙』で俊華牙やラジャ船長が辿った航路はこれだろうかと眺めます。

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 アッバース朝 9世紀 イランまたはイラクあります。

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  遣唐使船の航路です。九州や沖縄とのつながりが深いようです。

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 遣唐使の乗った船です。お遍路をしているので学問僧と言うと空海を思い浮かべます。

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 奈良時代のトイレの様子です。

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 基礎掘です。

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  発掘された場所には降りられませんが、近くまで行けます。

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 烏の羽です。

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    福岡城跡に上っていきます。 

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 展望台から周囲が見渡せます。

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 大きな池の真ん中に細い通り道があり、面白いなと思います。きれいな景色です。

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 ところどころ建物や出来事の案内板があるのですが、今回の旅ではある場所のエピソードでは足が止まり、この思いを知ってね。忘れないでと、ここに引かれたか呼ばれたかしたのかなと思いました。

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 『福岡城物語 二の丸(二の丸御殿・水の手・お綱門)

 福岡城の二の丸は、大きく「二の丸」、「東二の丸」、「南二の丸」に分かれ現在地は東二の丸にあたります。現在は運動場(ラグビー場)になったいる北側まで石垣があって、「二の丸御殿」が建っていたようです。その南側は貯水地となる「水の手」でした。

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  「東二の丸」から扇坂を抜けると、現在は梅の名所として知られる「二の丸」へと続きます。この扇坂の近辺に「お綱門」と呼ばれる門がありました(扇坂御門か東御門かいなる門であるかは諸説あります)。柱に触れただけで熱病に冒されたり、夜中にうなされるといわれたその門には、恐ろしくも哀れな話が語り伝えられています。

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 寛永の頃、福岡藩二代藩主・黒田忠之は参勤交代の帰りに大阪で遊び、采女という芸者を連れ帰りました。しかし、家老にいさめられて、お側役の浅野四郎左衛門に預けることに。浅野にはお綱という妻と幼い2人の子どもがいましたが、采女に心を奪われた浅野は、妻子を顧みなくなってしまいました。簀子町の本宅に采女を住まわせ、お綱と子どもたちを箱崎の下屋敷に別居させて、はじめはしていた月々の仕送りもだんだんとしなくなりました。貧しい生活にやきもきしたお綱は「せめて娘の4歳のひな祭りには何か支度を」と本宅に下男を送ります。ところが、出てきた采女にけんもほろろに追い返され、下男はお綱に申し訳ないと思い、箱崎松原で自害しました。

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 これを知って、お綱は狂乱します。2人の愛児を刺し殺し、なぎなたを携え浅野家に走りますが、夫は登城していて留守。逆に屋敷にいた浪人の明石彦五郎に切りつけられてしまいました。それでもせめて一太刀と、お綱は髪をふり乱し、血に染まった体をなぎなたで支えながら、夫のいるお城へ。しかし、城門にたどり着くと同時に、門に手をかけたまま息絶えたといいます。

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 この門がお綱門と呼ばれ、後に、浅野の本宅跡に建てられた長宮院に移されました。当院は福岡大空襲で焼失し、その跡地は現在、家庭裁判所になっています。』

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 あるいは私が共鳴したのか。

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 でもなんだか少し気が晴れた気がしました。もう成仏していてこだわりはないのかも知れないけど、なぐさめられたのかもしれません。 

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 お城を降りて、福岡市美術館へ。ゴジラ展があります。

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 ゴジラ展は映画館で上映されているときに観に行く感じで特に見たかった訳ではないのですが、『シン・ゴジラ』の映画を後から映画館でみて、ガイドブックを読んでからもう一度見に行けたらいいなと思うくらいおもしろかったので、みておいてよかったかもしれません。 

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 福永武彦のファンでもあります。 

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 過去から現在のゴジラの姿や、実物もおかれています。

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  特撮でゴジラと一緒に映るモニターがあり、小学生男子の次に並んで写してもらいました。 

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 食堂で、企画展のゴジラランチというのがあり、せっかくなので頼んでみます。

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 見本をみて内容を知っていたのですが、なぜカレーとコーラなのか謎です。 

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 映画館で飲みたい飲み物だからでしょうか。

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 とても暑い日だったので、コーラが似合う日でした。

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 常設展もあります。昔の祭事に使われたような仏像の姿や、焼き物がおもしろかったです。

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 『唐物茶入 銘 博多文琳』もあります。

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 なんの変哲もないようで、いつまでもあきのこない完成された形なのでしょうか。

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 ほかに置かれているのをみて再び見返してを繰り返して見ました。 

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 『博多の三傑の一人、神屋宗湛(かみやそうたん)が所持していたもの。彼が行っていた中国貿易で入手したもので、文琳とは「りんご」の中国名である。

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 博多随一の名茶器として有名で秀吉が所望したが、日本の半分となら交換しても良いという条件に秀吉も断念したと伝えられる。

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 二代藩主忠之に献上し、黄金弐千両と米五百石の土地とが与えられた。』

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 『灰陶豚舎』があります。ミニチュアの土器の豚の姿がかわいいです。愛情を持って作られている気がします。副葬品のようです。

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  後漢 1~3世紀。現代の作品と言われても驚かないと思いました。

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 美術館はこれから改修工事をされるそうです。

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 ゴジラが美術館へ現れて人々が出口から逃げ出す映像を見た後に同じ場所に来ると、人物の彫刻の展示があるのですが、驚いているポーズにも見えて、服や靴を着てないと危ないですよと思いました。

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 池の真ん中を通る道が見えています。

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 草間弥生の黄かぼちゃがあります。逆光で画面が見えないまま写真を撮ったので、指が入ってしまいました。この写真しかなくて残念です。

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 『慶長年間、黒田長政福岡城を建築する時、博多湾の入江であったこの地を外濠として利用、昭和2年ここで開かれた東亜勧業博覧会を機に造園工事を行ない、昭和4年県営大濠公園として開園したものです。』大きな池です。小さな帆付の小舟を走らせているようです。ラジコンヨットを楽しんでいるようです。

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 飛行機が見えました。池の周囲は約2キロの周遊道になっており、マラソンをしている人が大勢いました。

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 池の中央を通っている細い小道を歩きます。

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 なんだか不思議な感じです。

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 のんびりと日向ぼっこや昼寝をしている人たちも見かけます。

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 池のそばならんで午睡人と鴨  

 鴨を時々見かけます。この時は至近距離で人の側で鴨が昼寝をしていました。そっと側を通ります。

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 午後4時ごろの景色です。これから小倉へ移動します。

小倉 博多  2016/7/16

 今回は、2016イエモンツアー 福岡での公演に行きます。

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 バスで行こうかと思ったのですが、前回の教訓をふまえ船で行くことにしました。

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  無事到着です。早朝福岡までの連絡バスがあったのですが、小倉で妙見宮にお参りします。乗るバスを確認して山の麓に到着です。

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 途中、忠霊塔があります。小倉は原爆投下の候補地の一つだったと書かれた案内があります。  

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 山に登れたら登ろうと思っていたのですが、時間がかかるかもしれないので妙見宮までです。

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 いつもより荷物が若干軽いと思っていたら、カメラを忘れていました。携帯電話で撮影します。

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 坂を登って行くうちに雨が降ってきました。じきに止んでよかったです。石段を上がります。亥の像です。 

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 申年の大きな絵馬がおかれています。

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 和気清麻呂公が770年に創建し、猪に導かれお告げを受け、霊泉により足の傷がいえた地だそうで、足の神様としても信仰されています。

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 北極星と北斗七星が神格化された北辰尊星妙見大菩薩がご本尊です。

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 お稲荷さんもあり、鳥居が並んでいます。

 夏越祭の人形が拝殿に置かれていました。 

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  和気清麻呂公の像です。

 

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  帰りは階段の道を降ります。 

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 天気は回復してきて景色がよく見えます。

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 バスで小倉駅まで戻ります。

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 途中に森鴎外京町居住跡地の碑があります。

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 大通りを曲がり来る途中に山車を見かけました。小倉祇園太鼓のお祭りがあるようです。

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 森鴎外旧居に行きます。建物の中にも入れます。書斎に使用していた部屋です。

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 ちょうど小倉を舞台にした小説『鶏』(明治42)のラジオの朗読があり始めの方だけですが聞いたところでした。

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 お風呂場や炊事場もあります。

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 私は森鴎外の本をほとんど読んでいないのですが、森茉莉のエッセイの大ファンで、そのなかによく出てくるパッパの思い出の話も好きで文章から親しんでいたので感慨深いです。

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 商店街を通り、小倉城に向かいます。時々色々違う山車を見かけました。

 忘れ物の買い物をしていたら、小倉祇園太鼓のポスターがありました。買い物をした店も出演するようです。時間表を確認してこられたら来ようと思います。 

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  川を渡りお城に到着です。屋台が並んでいます。

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 お城に入ると迎えの虎の絵があります。現在の建物は昭和34年に再建されたものだそうです。城下のジオラマがあります。

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 展示をみていたら細川ガラシャ宮本武蔵の紹介もあり、巌流島の決闘の話は物語として知っていても漠然としていたのですが、この頃、大河ドラマ真田丸が放送されていて、忍者のサスケも登場していて、この時代は個性的な生き方や人物が大勢出現したのだなと思いました。 

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 島原の乱の出陣前夜の作戦会議のからくり人形コーナーがあります。

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 リアルに作られていますが、歴史ファンらしい男性が、持っていたイメージと違うらしく、いまいち納得がいかないようでおかしかったです。

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展望台から周囲がよく見えます。  

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 八坂神社が見えています。

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 庭園や他にも見所がたくさんあるようです。

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 橋を渡ります。お祭りの準備が進んでいます。

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 再び迷路のような商店街を通り、JRで移動します。

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 博多駅に到着です。宿に向かいます。ネットで予約したのですが、始め会場から遠かったのですが、日が近づくにつれ空きができたようなのでだいぶ近い場所に変更しました。 

 あるメンバーの真似をしてるのかなと、いう人もいる人達とエレベーターで一緒になります。開演まで時間があるので休憩します。

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 まばらな人影の会場に近くで、チケットを買いませんかと声をかけられました。 

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 始まります。広島でのセットリストと同じ始まりだったので、明日を選べばよかったなと思いながら聞いていました。 

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 私がジャムみたいな状態になったときは、現実時間の流れの中でシュレッダーが生まれるような、そういうタイミングの巡り合わせなのかなと、漠然とずっと思ってきたような気がします。 

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 前の男の子が(私からみて)スマホの明かりが眩しかったので、控えてほしいと言うようなことを言ったら、なんたが随分しょげたような感じだったので、わるいことしたなと思いました。

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 ええ、もっとなんだかなーということにも遭遇しているので。 

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  演奏は素晴らしかったのだと思います。終演後外でオブジェの写真を撮りました。 

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 ぞろぞろと歩いていたとき、側を歩いていた男性が、夫婦らしい隣の女性に、えらいなあと言うようなことを、話しかけたら、即答で否定されているようでした。f:id:oborodukiyo22:20160716214508j:plain

 港の側を歩いて帰りました。

2017/9/9~9/15

9/9      久しぶり古典的案山子帰り道

9/10 本開きさばくおおきな秋の魚

9/11 行きがけに靴取り替える秋気かな

9/12 秋曇りパンク他も直す帰路

9/13 信号で待つ影の位置下がるかな

9/14 ないよりは防犯グッズ秋遍路

9/15 白玉を探して入れる芋煮かな

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2017/9/2~9/8

9/2 玉すだれぽこんと生まれる素秋かな

9/3 たたきから飛蝗弧描く目の高さ

9/4 ジャム用ともらう無花果から食べる

9/5 一面の空き地えのこ草光る

9/6 満月や雲の小窓見え隠れ

9/7 四十年かけて廃炉しる白露

9/8 プチ断食止めて頬張る秋刀魚かな

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2017/8/26~9/1

8/26 夢うつつ雷鳴続く休み朝

8/27 秋の朝起きてまず探す昔の本

8/28 止まない虫の音万歩計見る

8/29 ミサイルとJアラート知る秋の朝

8/30 秋の色くだもの先にやってくる

8/31 涼新たバイクの人のはおりもの

9/1  防災日忘れぬようにと揺れ少し

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2017/8/19〜8/25

8/19 暑気中突然食べたい即席麵

8/20 足止める隙間最後の揚花火

8/21 音も無く続く稲妻山の際

8/22 映像の皆既日食月見月

8/23 名ばかりの処暑に昨日の星占い

8/24 東西気温分断秋暑し

8/25 気怠げに浮輪しぼませ行く親子

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2017/8/12~8/18

8/12 晴天にろうそく手かざす墓参り

8/13 墓詣足のばす神社願い事同じようで変わりゆくかな

8/14 晩涼に一息ついて伸びをする

8/15 少しだけグラスに分ける缶ビール

8/16 秋暑し鈴なり緑椿の実

8/17 白粉花犬との散歩思い出す

8/18 甘藷繊維多すぎ笑み浮ぶ

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2017/8/5~8/11

8/5   動かない空気かき分け青田道

8/6   黙禱の声に向き変える原爆忌

8/7   台風の過ぎた後青い月明かり

8/8   寝る前の葡萄つまみ食いお茶を飲む

8/9   フリカケに梅干し選ぶお弁当

8/10 朝の道少し急げば玉の汗

8/11 知り合いに合った顔するアキツかな

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2016/6/11 6/12の記事記入後の追記④

 なんだかよくわからないけれど、あれはすごかったなあということについて。

  不思議なよくわからないことがあって、でももうその頃のことは記憶があんまりない。漠然としたままであるけどわすれてしまう前に書いてみる。

  昔は、修験者がほら貝を吹いて干ばつに雨を降らせたとか海には魔物がいるとかは、あったとしても昔話で不思議なファンタジーや自分には関わりのないどこか遠くの世界の事のように思っていたけれど、今はそうではなくてあると思っていること。

書けば書くほど信憑性がなくなりそうな話。

 

2001位まではテュマレスト・サーガのシリーズ『夢見る惑星フォルゴーン』 にあったテレパスのデライが恐怖に晒され受けてきた強力な支配欲や圧力。利用するための何かを受信して逃れようとしていた感じ。

2008年はなんだか警報がずっと響いているような凄まじい不安みたいなもの。

私がミレニアム版幻魔対戦と呼んでいるような現象。修験僧の人の漫画を読んでいたとき(『霊験修法曼荼羅②』)に妖怪大戦争という言葉がちょこっと出てきて内容は語られてなかったけど同じような体験をしたのかと思ったこと。このマンガは2011年5月号からスタートしているのでそれ以前の出来事だと思います。

出雲大社の神官の人の2013年の遷宮の時の大変だったという話は、見えないけどある本当のことだと思ったこと。

指輪物語の映画(『ロード・オブ・ザ・リング』2001年『二つの塔』2002年『王の帰還』2003年)の妖精の女王が自分のエネルギーを使い果たすまで戦ったことや、ハリーポッターの世界で起こっていたような事、『インモータルズ 神々の戦い』2011年、その他ファンタジーの形で表現されてきたことは異なる重なった次元で実際に起こっていたことと思うこと。

 これは書こうかどうしようか随分考えたのだけど、2017年は、霊界通信で届を出したこと。妄想と言えばそうだけど、想像と言えばそうだけど。私の持つ結婚するというイメージが、ノーマン・ロックウェルのマリッジライセンスだからか、そういうことで。場面は日本の良くある役所のロビーだったけれど。そういうことは、どちらでもいいことだけど、自覚がないままよりあるのがいいでしょうと言うような感じで、それでも迷って考えようとうろうろするんだけれど、なんだか余裕だなという感じで待ってて、結局半日ぐらいで決断して記入したのでした。一方的な私だけの思い込みでもないのではないかと思われます。イメージとしても、密教の秘術を使う時それが重要な役割をはたしているようですし、ヨガの本(『秘伝アルマツボ刺激ヨーガ』)を読んでいたら、「強力なイメージは現実と同等の実在だと考えていました。いや、それ以上に精妙なレベルでの実在と考えていたふしさえあります。」と書かれていて、私にとってはそういう実感のあるうれしいなあと思った出来事でした。2017年2月の終わりぐらいかな。その頃は異なる世界の境目が薄くなっていた時期なのではないかと思います。書いたことで誰かに迷惑がかからないといいのですけど。そういうことをして、大丈夫なのかと言えば、私のつけたあだ名の一つがパードレなので霊的にむしろ安全なのではと思います。呪術的な攻撃があったときや、何か見えない世界的に誰かに何かに道具みたいに使われそうになったときに既に契約している存在があるのは守護になるのではないかと思いました。あの世に行ったとき、私が地獄に落ちてたら、天使学校上級生になりすぎて、ごめん、そんな低いところ降りていけない、と言われそうだけど。まず最初にかけよるのは、海辺の青春カップル達かもしれないけれど。

 その頃、『ムー』の過去の雑誌を読み返していて。2011年4月号だったのですが、「スナミちゃんの超能力研究室/第4回」で、子供の頃天井裏で遭遇した不可思議な爺さんの話がありました。叱られて押入れに閉じ込められて天井裏に隠れた時出会ったそうです。『……ボロ布を着た白髪の老人が笑顔で座っていた。しかも、背丈が80センチ足らず。「坊や、また叱られちまったか」 人間離れした風体。こんな爺さんがいるはずもない。ありえぬこと、と頭で思うのだが、妙にスンナリと違和感もなく、一瞬でその存在を受け止めてしまった。「世の中、エエコトばっかあらせん(いいことばかりではない)しゃあないがや。ヒドイ目にあわんと、人間は成長せんがや」 純粋な名古屋弁が、フーッとこころにしみこむ。--「わし、棲んどりゃせんがや(棲んではいない)。オミャー(お前)が泣いとるで(泣いているから)慰めにきたった(きてやった)だけ。わざわざ親切心でよォ」 それからいったい何を話あったのか、懸命に記憶を探るが、皆目覚えてない。気がついたら、押入れの布団に埋もれて、僕は泣き寝入りしていた。』そうだとしてもなんだかかなしいこともあるな。

 

 それらから推測するに、何が狙いだったのかよくわからないけれど、霊能力とかまじないの才能というようなものを利用するためだったのだろうか。もしそうだとして、だったら、私はかつて1度使い果たして、2006年ぐらいだろうか。よく覚えていない。このまま消えるのかなと風前の灯火みたいになったことがあるし、2011年ぐらいも消費してライフゼロぐらいだったのを他の人に分けてもらったのだろうとおもわれ、かろうじてのようになって、2015年ぐらいにようやく何とか人心地つくくらいに回復してきた感じかもしれない。私はそのようなことにたいしてちゃんとした教育を受けたことはないし、自分に関わりのあることと思ったことはないし、修行を積んできたわけでもない。どちらにしろデライにたいして、行われてきたような行為をかけてきたような存在が私にとってよい存在な訳がなく、利用される気はないし、どちらにしろ何をするにしても必要十分なだけのエネルギーは戻ってないだろう。 

2017/7/29~8/4

7/29 つっかけの足元小石螇蚸飛ぶ

7/30 公園の緑切り取る夏の果

7/31 熱帯夜猫の姿も見当たらず

8/1   8月の飲み物追加する氷

8/2   空見上げ同じ坂道秋隣

8/3   蜩や座って響く台所

8/4   朝顔の網を離れて続く花

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