2018/5/28 東京 スカイツリー①
翌日です。薄曇りの天気です。
予定は前日の夜まであれこれ立てていました。全部回れるかわかりませんが、行けるところまで行こうと思います。
朝、テレビをつけたら『ゲゲゲの鬼太郎』が始まったので曲を聴こうと終わりまで視聴します。随分久しぶりに見たアニメは猫娘の変化が著しかったです。国会中継もあったのですが、この日に国会議事堂も見学する予定です。高円寺陸橋と日枝神社と、スカイツリーも。
相変わらず、何をお願いしようかなと考えていたのです。
この日は、まずは高円寺に行きます。丸の内線の東高円寺で降りて、蚕糸の森公園を通ります。工事中だったのでよくわからないけれど、昔はもっと地面があって広かったような気がします。一時期近くに住んでいたことがあったのですが、もうそんなに月日が経っていたのかと驚きました。ほんの少し前のような気がします。
なんていうか、そのころから数年後と数年前まで記憶があやふやではっきりしない時期があるような気がします。『ダリアの帯』にあったセリフのように、「わすれます わすれます なにもかもわすれます なにもかもわすれて生きねばなりません」とあったように。あるいは、そのころ読んだ映画があり漫画にもなった『僕らはみんな生きている』(大手建設会社のサラリーマン・高橋は、社命により西南アジアの小国・タルキスタンに出張することになった。飛行機で約16時間かけて辿り着いた現地で彼を出迎えたのは、どこか怪しげな支店長の中井戸と、その運転手をしているセーナという現地の女性だった…。次第に現地での生活に慣れ、セーナに心惹かれてゆく高橋。やがてパスポートを紛失し、日本に帰れなくなってしまう。一巻の内容紹介(そしてテロに巻き込まれていきます。))にある、セーナがクーデターのニュースを聞いて、急いで帰国して命からがら家の前までたどり着いたときの回想シーンのセリフのように『「……すみません むごいことを思い出させてしまって」「いいの,この国じゃよくある事だし,気にしないで,それより作業続けて. 人間の脳っておかしなものでさ,どういう防衛機能が働くのか,正気をなくすほどのショックを受けると,一種のブレーカーが降りちゃうのね.」「ブレーカー?」「それがどういう状況なのかは確かにわかってて,フォクウィク(処刑)にかけられている人たちが誰なのかも確かにわかってるんだけど…でもそれが少しも哀しくないの,おかしいでしょう.目の前にあることなのに,映画の1シーンみたいに,まるでリアリティがないのよ.現実と自分との間に,透明な硬い膜ができたみたいな…….…そのあとのこともあんまり覚えてないんだ.同じ原理が働いてね.気がつくと,街のなかでうずくまっていて,ナカイドがずっとこちらを見ていた.」』私の人生にもある時期そういう作用が働いたようでした。
高円寺陸橋の写真を撮ります。蚕糸の森公園の門のところで、ここなら見覚えが確かにあると思いました。そのころの私のおもにしていたことは本を読むことで、他には課題に追われ、行動範囲が広かったわけではないけれど、それでも近くを散策してみたい気がありますが束の間で移動します。ここに来てみたかったのは、後になって気がついてそれがなかったら絶望したかもしれず随分救われて、私にパードレとも呼ばれている人に会いに行くような気がしたからです。
誰にでもテレパシーやそういう言い方が大げさなら虫の知らせというようなものあるとして、それが拡大して作用する時期があったとしたら、私はそれが酷いころ、デライのように『あまりにも多くの欲深い手が一つのツボに入れられている』ような状況を感じていて、それがどういう存在なのか私にはわからないけれど、もしかしたら私にまじないの能力というようなものがあると思ってそれらの人々にとってそれが状況を有利にするとても魅力的なパワーアイテムのように思われたからだろうか。占いとのかかわり方について、エスパー小林という人の本だったと思うけれど、占いには懐疑的だったけれど、人間にはバイオリズムというものがあるから、そういうのを知るために自分と相性のいいあっていると思う占いを参考にしてみるのがいいのではというようなことを書いてあって、なるほどと思ったことがある。私が今参考にしているのは、占いがあったっているとかよりも、たまに遭遇する人生哲学みたいなのが救いになったことがあって気にいっているのだけれど。その占いの本は、占いは簡単に結果が出るもので試してみて、一喜一憂したり鵜呑みにしたりする必要はないとわかりました。それに凶を避けて、昔の貴族のように方違えを繰り返しても問題や宿題の先送りや、幸運の先取りになるようだとおもいました。そういう超常現象的ななにか不思議な力があって、それが働く時期があるとしたら、私にとってのその力の働くバイオリズムのピークはもう過ぎたのだと思います。何らかの不思議な力があって、それらを生れた時に預かってきて誰かに渡すためだったのだとしたら、それは龍から見えるような人ではないかと思います。昔、自作のメモ帳で作った栞があって、それに書いてある言葉は、十善戒と、「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ。知識を求めて努力するものは神に祈る。」マホメッド “人間を超える存在によって生かされる感謝”神谷美恵子 です。祈るときに私はこの言葉を唱えるときもあるのですが、知らずにそういうことでなにかに使われたのなら、諸々の事に諦めがつくように思いました。祈りの言葉は、キリスト教の祈りの載った小さな本で読んだ平和を求める祈りも好きで、そういうことを祈ったことのある人、そういうことを成し遂げる人にそれらの力が流れたのならよかったなとそうしたこともあったかなと今は思うこともあるのです。
十年以内ぐらいでよく思い浮かんだイメージに、合わない歯車を無理に合わせよう合わせようとするのがあったのですが、それが見えない世界で、私を利用しようとする力の象徴のようなものだったのなら、合わない歯車を無理に合わせようとしても何も起こらないか、反発するか、壊れるかだと思います。昔、ものにすればというような言葉を聞いて驚いたことがあるけれど、その人はその時、何かの思惑や悪意があってその言葉を使ったわけではないけれど、そういうことをしようとする人もいるということを身近な現実として認識する機会だったということが言いたかったとういことで私のことをものにしたって、合わない歯車なら何も起こらないです。HONKOWAをいうオカルトの漫画雑誌を読むのですが、本能的にそっちではないと感じた直感を大切にしたほうがいいというエピソードが出てきて、そういう私の直感はずっとそれらの勢力にそれを渡してはいけません。それは私の役目ではないし『宇宙が私の魂に与えた進む道』でもありませんと分かっていたのかもしれません。それにその力がもらたすのは、棚ぼたの幸運ではなくて、昔話で読んだことのあるようにおもう、遺産をブドウ畑に埋めたと言い残して亡くなった父の言葉を信じて、畑を掘り返したら、土が良く肥えて豊作になったというようなことなのではないかとも思います。
その必然があって歯車が回った人は既に回っているのだと思う。
私は、何だか変だと違和感を感じながら『白鳥の湖』に出てくる黒鳥を、自分を救ってくれた白鳥と勘違いしたまま死ぬようなことにならなくて、良かったのだと思います。本当がないのはそれがいいことではなくてもとても悲しい事だから。その頃とても不安な人で加藤諦三の本をよく読んでいたけれど、これで大抵の人は騙せるなと騙った人のエピソードが何故だか思い出されます。私にはよく理解できなかった。
以前、日本国憲法って実はとても素晴らしいんじゃないっていうような気運になったとき「永久保存版付録「日本国憲法全文」つき!公布から70年を経過し改正が争点として浮上する中、漫画史上初めての試みです!週刊ビッグコミックスピリッツ 32号 2016 年7月4日(月)発売」があり、読みたいなとおもって本屋に行くとすでに売り切れになっていて、それでも気になって本を探していてしばらくして『文学部で読む日本国憲法』著者 長谷川櫂 を読みました。その本でその時に特に印象に残っていたのが、「同じようにあらゆる国家は自分の統治を正当化する大義名分を必要とします。- 人間の世界は事実だけでできているのではありません。事実と同量あるいはそれ以上のフィクションでできています。そしてフィクションはときに事実以上に人を動かす力を発揮します。」の部分と「夏目漱石(1867-1916)の『三四郎』(1908)は日露戦争後を舞台にする小説ですが、登場人物の一人に「(日本は)亡びるね」と語らせています。」という箇所です。
2015年五月号の俳句の雑誌 (KADOKAWA)で、「俳句と歩く 最終回 どこへ消えたのか 浮田喜代子」を読みました。「私たちは昭和20年『8月15日正午、天皇の終戦の詔勅の録音放送で敗戦を知った。――あれから70年、日本は平和だと言え、8月15日の敗戦時と当時に魔法のように戦後の平和や自由が訪れたわけではなかった。――そんな「内地も戦場のあおりで生じた戦争被害者の人達の「一人」が戦災孤児であった。終戦直後の厚生省(現・厚生労働省)の調べでは、孤児12万人以上、うち推定3万5千人が浮浪児として野に放り出されたとのこと。実際にはその何倍かの数であったと言われている。(『浮浪児1945-』石井光太)。まとめて3万5千人ではなく、「一人」という人間の数え方で数えてあげたいと思うばかりだが、今もって、大まかな数でくくられる子どもたちだ。幼児から10歳そこそこの子どもが一夜にして親無し、家無し、一文無しの丸裸であの焦土に置き去りにされたのだ。みな私と同い年ぐらいの子どもたちであった。 草田男が聞いた〈浮浪児昼寝す「なんでもいいやいしらねいやい」〉という浮浪児の独白、〈何がここにこの孤児を置く秋の風〉という楸邨の憤りと憐憫、波郷の見た〈浮浪児の散りては群るゝ秋の風〉という実態、たまたま人間探究派と括られた3人の句だが、今もこれらの言葉の入った句を目にすると、最初に読んだ折の動悸と同じような動悸が甦る。――「戦後の70年」という声が聞かれるようになればなったで、彼らは今も生きているか、生きていればもう高齢か、などど思う。そんな昨秋、ノンフィクション作家・石井光太氏の『浮浪児1945―』が出版された。サブタイトルに「戦争が生んだ子供たち」とあり、オビに「どこへ〝消えた″のか?」とある。 当時を知らぬ、私の孫ほどもちがう世代の石井氏にして、よくぞと思われる取材で、読むうちにつらくなって幾度も本を伏せた。読み終えて、かつて私が子供ながらに言うに言われぬ気分で彼らの詳細を大人に聞くことができなかったわけはコレだと直感した。わたしには彼らにはいない親がいる、その親が懸命に食べさせてくれている、彼らにはそれがないのだということが、ことばにはならない重りとして私にはわかっていたのだ。
浮浪児たちは僅かばかりのいい大人と、そうでない大勢の大人に翻弄されながらとにかく生き残った。生きたというよりは、死ななかったのである。二年も三年も風呂に入ったことなどない虱だらけ垢だらけの身でどこかで何かを食べ、どこかで雨梅雨を凌いだ日々を過ごしていたのである。
生きる手立てとして、靴磨き、モク拾い、ユスリ、タカリ、スリ、新聞売り、物乞い、麻薬、街娼やテキヤの走り使いなどを、こなしてきた。女の子は早晩売春に流れる。刈り込みという一斉収容のたびに大勢の孤児たちは〈散りては群るヽ〉を繰り返す。時折、彼らを助けてくれたり、やさしくしてくれたのは、彼らと同じくらいにつらい身で生きてきた街娼やテキヤであって、彼らをもっとも怖がらせたのは厚生課の役人、孤児院の大人たち、普通の市民だったのだそうだ。
炎天へ孤児の孤影を引つぱり出す 秋元不死男
孤児にやる林檎の力手に乗せて
一人ぼっちの孤児を引っぱり出す。この日、この子は生きていた。そもそも子どもたちが一人で戦争の世を生きるということは不可能なのだ。大変とか難しい、そんなものではない。子どもって意外にしぶといなどといえたものではない。
猛火に追われ、母と水田の小道を逃避する途次、斜め後ろを行く人が焼夷弾の直撃で倒れた。事実、内地も戦場であり、死と隣り合わせだった。――70年間、空襲を受けることもなく、武器で他国の人を殺すこともなく、現在も進行中の他国の戦争を他事とし、余りを捨てるほどに食べて、ぬくぬくと着て、蒲団で寝るという暮らしに慣れてくると、そんな今がいつまでもつづくような気になる。それでいて、なんとなく厄介な空気が流れていることを多くが感じている。そんな昨今だが、かりにも次の戦争が現実のものとなったとしたら、私が受けた恐怖や惨状など、何ほどの事もないと言われかねないほどに恐ろしいもの、取り返しのつかない世界になることは必至である。
そんな思いと同じ思いで、だまって「負の昭和」を撮り続けているカメラマンに江成常夫さんがいる。――レンズが旧満州の現在の何もない空間の中にとらえているのは、そこで途絶えて埋められた「一人」、そこに残された残留孤児の「一人」なのである。――」
そのころだと思うのですが何で読んだのか忘れてしまったのですが、「兄ちゃん ラーメン食べてみたかったな。」と言ってある戦争孤児が亡くなったという話もなんだか忘れられずに記憶に残っています。
旅のテーマに江戸があるなということで、歴史の復習をしようと『忘れてしまった高校の日本史を復習する本』を読みます。江戸、幕末、明治維新と読んでいて、明治政府の中央官制の変化の表を何となく眺めていたときに、大きな扱いだった神祇官が1868~1871年まではあったのに1885年にはなくなっていました。学生の頃にその図を見たとしても、きっと特に何も思うことなく過ごしていたと思うけれど、現在は自分でも説明のつかない不思議なことがあったり、世の中の流れや時間を経てみて、長く続いた組織は腐敗するものだし、形骸化して意味をなさなくなったものもあったのだろうけれど、それだけ長く続いて守って来たものの中にはなくしてはならないものがあったはずで、それは現在のブータンが今でも保ち続けている何かとも似ているものなのではないかと思ったりしました。
国会議事堂へ。乗り継ぎで移動する距離があると思っていましたが想像以上に歩きました。地上に出て、見学の申し込みに行きます。衆議院と参議院とあり確認されますが、駅から出て近かったので、そのまま参議院の見学です。荷物検査の時、後から神社にお供えしようと開封していない日本酒を買っていたのをすっかり忘れていて、冗談なのか本気なのかよくわからない口調で飲まないでくださいねと釘を刺されたので神妙にハイと回答します。展示を見ていると時間が来て中の見学です。修学旅行は東京だったのですが、コースに入っておらず、住んでいた頃は思い浮かばなかったので初めて見学します。
参議院議場を傍聴席から見学します。いつもTVでみている感じではものすごく広いと思っていたので、思いのほか広くないと思い意外でした。何て言うか、人と人との距離が親密な距離と言うか、マイクなしでも端から端まで会話が出来そうな。下から見るとまた違うのかもしれません。
中央広間の辺りで、衆議院側から来る修学旅行生の集団がやって来たのでこちらで良かったと思っていたら、出る頃にはどちらもすごい人数の見学者に膨れ上がっていたので、早めの時間で良かったです。
都道府県の木が植えられている通りを通ります。建物正面が見える場所に到着して終了です。
そのまま道路沿いにある憲政記念館内の霞ガーデンでふわふわ卵というのにつられてオムライスをいただきます。窓の外を眺めていたら、子供達がやってきて、どんどん増えていったので、遠足で来ていたようでした。昔読んだ漫画の影響で、独断と偏見で東京の子どもは高尾山に遠足に行くと思い込んでいたので、こういう場所にも来るのだと知りました。その様子を見ていて場所柄のためか、私の子供の頃は自動販売機で水を買うなど考えられない時代で、住んでいる場所も(潜在的にはあるけれど)、自分たちの責任ではない、不安や心配がより身近にあって、きっと言葉にできないけれど伝えたい、抱えているものもいろいろあるのだろうと思いました。
2018/12/16~12/31
12/16 冬の雲子猫の左目を拭う
12/17 滑る指塗り込む懐かし 胼薬
12/18 暮早し埋れた目標読み返す
12/19 くたびれて太鼓焼迷う帰り道
12/20 冬の夕カーテン越し浮ぶツリーかな
12/21 置き場所を工夫紅白室の花
12/22 冬至の日カレーに追加する南瓜
12/23 賀状作り亥の絵溢れて時過ぎる
12/24 空見上げクリスマスイブ曲流す
12/25 クイーンの番組流れるクリスマス
12/26 冬の朝コンクリのすきま待つ子猫
12/27 カゼひきの猫に湯婆工夫する
12/28 珍しい店灯り光る初霰
12/29 年詰まるフェルトで作る亥の飾り
12/30 手を伸ばし紅白揃える冬椿
12/31 大晦日夜空5羽渡る白鷺
2018/12/1~12/15
12/1 人物が人格化するラプソディ
映画の中で甦る冬
12/2 残る蚊の姿なく力強い音
12/3 雨上り頭上に気づく寒オリオン
12/4 小春日を越えて夏日の12月
12/5 冬夕焼ブラインド抜け照らす棚
12/6 迷わずに2018この漢字
12/7 冬の蜂灯りを消して窓開ける
12/8 扉開け通路に続くポインセチア
12/9 気になった手套跡形なきセール
12/10 段違いPCの前冬めきぬ
12/11 手袋を防水にする雨の朝
12/12 短日やスカイツリーなき時重ね
曲が流れる遠景を知る
12/13 星冴ゆる星座手帳に名前知る
12/14 数え日の休日数え予定表
12/15 鳴き声に子猫見つける冬日影
2018/11/16~11/30
11/16 冬灯熱風来そうな発売日
11/17 法事ありまわり道して芒かな
11/18 冬浅しカメラの本の拾い読み
11/19 小六月就寝時間ずれて行く
11/20 風邪気味でみかんを探すあと一つ
11/21 冷やかやそのチェックの信憑性
11/22 そのままで活けられている野菊かな
11/23 冬満月昔なじみの詩を思う
11/24 銀杏散る川の向うの景色かな
11/25 冬近しまだきれいな瓶の花
11/26 枯野道情報過多に過多が乗る
11/27 勝手口棚に納まる竈猫
11/28 終わらないバックアップ時雨月
11/29 すぐに湯気立つインスタントに湯を注ぐ
11/30 夜更かしの時間の伸びる時雨月
2018/5/27 日光②
昔ながらの店や建物が残る道を通り日光に到着です。
ゆばの昼食をいただきます。高野山でいただいた精進料理の湯葉と似ていると思いましたが、最澄が仏教と一緒に中国から持ち帰り修行僧の料理として広まり、日光では湯波と書くそうです。
2017年3月44年ぶりに陽明門の大修理が完了し、2016年11月に60年ぶりに眠り猫が、2017年3月に65年ぶりに三猿が修復されました。
輪王寺にお参りします。北斗七星に願いを託す星祈願をします。
『日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山されました。
以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、
鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。
江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えております。』
本堂「三仏堂」の日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さまが、修理からもどられ、内陣の参拝が今年の3月26日より5年ぶりに再開されたそうです。儀式の際、日光では雨が多いそうですが、今年は晴れていたそうです。
建物の大修理が始まり、お堂は仮囲いで覆われていました。案内をしていただきます。一番上の青銅製の塔の写真は、法華経の経典が収蔵されていて、高さ13.2m。天海僧正が建立したものだそうです。 近くにトカゲが現われました。神様のお使いだそうです。実際はどうかわかりませんが、そう思うのはうれしいです。
鬼門除け札の案内に、「徳川家康公が、自らを関八州の鬼門に当たる日光に祀るように望んだのも、些細な事から幕府の運気が破れる事を恐れたために他ありません。」と書かれていました。
東照宮に向かいます。ここからは自由行動です。今回持っていった本は、『情熱の炎に包まれて―魔女の島トリロジー〈3〉』 (扶桑社ロマンス)です。〈1〉から順に読んでいて、『新緑の風に誘われて』では、巧妙なDVから命がけで逃げ出した主人公と、その頃、心理的に共鳴することがあり、興味深く読んでいました。〈2〉では、超常現象の研究家が登場します。グリグリの事が出てきて、どんなものだろうとネットで調べていたら、ワールドカップの前だったからか、サッカーの試合の勝利を祈る呪術に使われている情報が圧倒的に出てきました。
見えない何かに祈ること、信じる心。そういうのは時代が変わってもなくならずあるようです。現代でも、迷信深さが作用する場所があります。グリグリ(ブードゥー教)の事を書いている日本人の文章を読んでいたら、音楽家でもあるグリグリマン(呪術師)から、呪術と楽器も習っていたようです。呪術にもいろいろな種類があるようです。それで、グリグリについて言われたことは、「良く学べ、そして自分で考えろ」「そのような力はあるが、頼りすぎるとだめになる。」「全てのものから学ぶことができる。すべてのものに精霊が宿っている。言葉にも。」というようなことが書かれていました。私も覚えておきたいと、書かせてもらいました。
五重の塔です。
私には、潜在的に思いがけない素晴らしい出会いや出来事があったようですが、同時に理不尽な不愉快なこともあります。ここ5、6年以内でインパクトの強かった出来事は、旅先でJRに乗っていたら、お遍路帰りで汗みどろというわけでもないのに、近くにいた同世代ぐらいの二人連れの女性客が突然口元をハンカチで覆って、避難するように離れた場所に席を移したこと、地元で歩いていたら、突然知らない男性が(やはり同世代くらいかもしれない)「使い捨てだな」と吐き捨てるように言ってすれ違ったことがありました。
表門です。
そういわれて、その時思い浮かべた人は、昔、私がとても大変だったとき、後から過去を遡って時期を外して見かけたとき、リンゴの皮を剥きながら気楽に笑っていられた場所にいて、それでも、星の王子さま流にいうと、私は無意識にとてもなついていたようで、底なし沼に嵌って死んでしまったお父さんみたいなものだ、と思おうとしたり複雑な思いがありました。
三神庫です。
グリグリの人は一見普通の人に見えたり、自分の仕事を別に持っていたり、ファッションも様々だそうだけれど、グリグリの人同士はわかるそうです。それで、私に何らかのそういう力があるのだとしたら、後からあんなにごっそり持っていったのに、それで済むと思うの?という気持ちも随分長いこと持っていました。
遊びでみてみたお試しの簡易的な星占いで、超能力はあるのかという占いをしたら、意外なことになかったので、本当にわからずにそうなったから、簡単になかったことにできてしまったのかもしれないと思いました。その占いは、特定の惑星と外惑星とのアスペクトで判断していたようで、霊能力となったらまた違う結果が出たのかもしれませんが。私もそれが何かはわからないけれど、体力のように増えたり減ったりするのかもしれないし、良くわかっていないものだけれど。
〈3〉では、主人公が若い未熟な頃に出会い、突然去って行った恋人と何年もたってから再会します。物語ではどうするか選択をします。随分いろいろな出来事があったけれど。私はハッピーエンドではなかったけど、現実では何もなかったけれど、心の動きは実際にあって、もう一度あんな風になったら立ち直れないなと思いました。
でも、2018年11月ぐらいに、見てみたら、もう大丈夫そうでした。韓国ドラマで、「何とも思わなくなったら、本当に終わった時」というようなセリフをきいたのですが、そういう風になっていったようです。幸せになりたい気持ちがあるなら〜♪同じことの繰り返しにしてはならないこともあるようです。
神厩舎・三猿です。
近くで見ます。初めて見るので、こういう顔かと思って見ていましたが、修繕される度に変わっているそうです。確かに、以前とは顔が変わっていました。猿の一生の彫刻で人間の生き方を教えていて、「見ざる 言わざる 聞かざる」は、処世術というわけではなく、幼少の時期は悪いことを「見たり 言ったり 聞いたり」せず、「良い事だけを受け入れて、素直な心で育っていくように」という事が表わされているそうです。
陽明門が見えてきました。
『いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。』
白い色の門です。
鐘があります。龍ではなく、象が四隅にいるようです。
廻廊です。花鳥の彫刻です。
陽明門を見上げます。
大勢の人です。日が暮れるまでじっくりとは見られませんが、鮮やかな色で華やかです。
眠り猫のいる坂下門を通って奥宮へ行きます。徳川家康公の墓所があります。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず」
東照宮御遺訓が目に入ります。急いていた気持ちに気が付きます。奥宮御宝塔があります。その近くに叶杉があります。杉の祠にお願いすると願いが叶うそうです。行列ができています。水がきれいになりますようにという事と、個人的なお願いをしました。
こちらの階段は207段だそうです。神社では、感謝の言葉をのべ、あまりそうは思えないかもしれませんが、自分の事で具体的に何かを願うことはそんなにはないのです。もともとそうだったのか、子供の頃、大島弓子の漫画の『ノン・レガート』を読んだことも影響しているだろうと思いだし、何かで神社での作法を読みそうしようと思ったのか、今でははっきりしません。
坂下門です。ここを通り抜け廻廊を振り返ると眠り猫の彫刻があります。
こちらも改修後の姿です。左甚五郎作と伝えられています。
見る角度を変えると感じが変わります。猫の姿には様々な説があるようです。お土産に日光甚五郎煎餅があります。
祈禱殿です。結婚式が行われていました。御本社へ。
唐門です。
『全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。』
御本社の建物は改修が続いています。
神輿舎です。御神輿があります。
反対側からの陽明門です。東照宮拝殿ではお祓いをしていただけました。奥ノ院でもされていたのをみかけたのですが、その時は少し前におわってしまったので、残念に思っていたのです。杉戸には狩野探幽筆の霊獣 麒麟と白沢が描かれています。
廻り燈籠です。
薬師堂です。大勢の人です。鳴き龍を聞くことができました。出発の時間が迫っています。
通りに出て、バスまで駆けます。
神橋を渡ります。大谷川です。途中の東北自動車道 羽生PA 鬼平江戸処へ寄ります。たい焼きのお好み焼きがありました。
帰りは渋滞になります。
この日は良く歩いたので筋肉痛が心配という話が出たのですが、大丈夫でした。
2018/10/16~10/31
10/16 桜紅葉ハラリと落ちる足の先
10/17 瞑想の後で遅めの青蜜柑
10/18 暮の秋空の一角カラス群
10/19 寝る前に灯火親しむ届く本
10/20 自転車で坂登りきる金木犀
10/21 美術展縁の絵飾る秋深し
10/22 似たようなセーター僅かに手を入れる
10/23 グレイヘア記事目を通す木の葉髪
10/24 食べ物を連想特大小望月
10/25 昨日より小さく見える今日の月
10/26 暮の秋星の王子さま検索
10/27 脇道にそれて背高泡立草
レシートに777の秋日和
10/28 秋麗見えぬ速さで片付ける
10/29 積み上げた枯葉納まる丸い猫
10/30 草寝床周りを飾る寒椿
10/31 飴が降りハカ扇子振るハロウィン
2018/5/27 日光①
翌日は快晴です。
日光には行ったことはなかったので、はとバスに申込んでいました。色々な改修が終わったところのようです。
昔、帰省ラッシュのとき大渋滞で良くニュースになっていた何ヵ所も並ぶ東北自動車道の浦和料金所を通ります。
添乗員さんに日光に初めていく人というと(何人かいました)驚かれていました。修学旅行などで関東では一度は必ず行く場所だから覚えていないのではないかと思われたようです。東武トレジャーガーデンに行きます。行程にあることをすっかり忘れていたので、思いがけずキレイで感動しました。推理小説を読むのが好きなのですが、舞台にイングリッシュガーデンなど出てきて憧れているのです。
バラが沢山咲いています。5/19にイギリスのヘンリー王子の結婚式があり、ワスレナ草を見てダイアナ元妃を思い出しました。
何年か前、元気がなかった時に知らず知らず花から元気をもらったなーと思います。因にすごく元気だしてーと応援してくれたように感じた花は緑色っぽいアルストロメリアでした。
今、現在、ここ。今、現在、ここ。と精一杯生きているからかもしれません。
旅行の計画を立てていた時、神社仏閣にお参りするので、どのような願い事をしようか、随分考えていました。
一つは、雑誌「アネモネ」の2011年12月号のアリス・フォーエンさんの来日インタビューの記事を思い出しました。香港のカリスマセラピストだそうです。ちょうど3月11日の大震災の際、東京でワークショップを行っていたそうです。「時間の許す限り、日本のクリアリングを行っている」と書かれていて、違う国の人なのに、すごいなあと思っていたのか、印象に残っていました。
日常で簡単に実践できるクリアリングの方法が書かれています。『現在、放射能の汚染下という状況で、不安な方も多いことでしょう。 声に出してこのように言ってみてください。「現在の放射能汚染を、エネルギー的に中和して変容させ、無害なものにしてください。」この言葉を、毎日気持ちを込めて、自分のスピリットに対してお願いしてみてください。心の中で言ってもOKです。
日本中の人達が、このことを心から毎日お願いするようになれば、日本全体のエネルギーがガラッと変わります。そして、汚染が激減していくでしょう。
これは、放射能汚染を除去するのではなく、害がないように変容させるためのものですので、とにかく本気になってお願いすることが大切です。
国に対してのヒーリングは、「愛と祝福」を意図するのが一番パワフルです。だから、皆さん全員で日本を祝福してください。「私は日本を祝福します。必ず日本は立ち直ります」とう信念を強く持つこと。そうすれば、必ず日本は元気になって回復します。
食事や何かを飲むときは、次の事をスピリットに対してお願いしてください。必ず心をこめて、このように言います。「995、私の食べ物を祝福してください。995、この飲み物を祝福してください。」995は、「祝福のパワーコード」です。パワーコードを唱えると、数字自体がもつマジカルな作用が発揮されます。このナンバーは、たとえ汚染されていてもクリアになる、というくらいパワフルな数字なんです。
もし、家庭菜園などで作っている野菜の汚染が心配だったら、「995、このほうれん草を祝福してください。」と言ってください。』
赤のバラは、もっと鮮やかで、ハートの女王のようでした。
2018/10/1~10/15
10/1 淡い陽と苛立ちしずめる秋の蝶
10/2 ビルを縫い町を染めゆく秋夕焼
10/3 ざっくりと束でいけられた秋桜
10/4 物陰でひそかに祝う水引草
10/5 神社前はっぴの子供集う秋
10/6 ゴウゴウとそれる台風木揺する
10/7 諦めた本の出てくる冬用意
10/8 この日に映画『嫌な女』ラストまで
10/9 肌寒に手を止めて見るカレンダー
10/10 軍手して夕刻までに栗を剥く
10/11 溶けかけのかき氷色秋の暮
10/12 長月に雑誌買おうとまわり道
10/13 渋抜きの柿選り分けて急ぎ喰う
10/14 葉の先へみなぶら下げる露の玉
10/15 まとまって送られたきた夜寒かな
2018/5/26 東京 ZeppTokyo
今回の旅は東京、 日光です。
岡村靖幸のライブに行こうと思ったからです。その存在を知ったのは、まだ中学生の頃で、その頃夢中で読んでいた『僕の地球を守って』という漫画の枠外にある作者の欄に最近よく聴く曲にあげられていて、何巻も続いていたマンガだから何冊もあるのに、幾度かの断捨離を越えて一冊だけ残していた巻を最近何気なく読み返したら載っていました。そういう感性の鋭い大人の女の人とかが好きになるようなミュージシャンなんだろうと思っていた気がします。
上野公園 野口英世像です。
なんだか大変な訳のわからない頃があって、それは目で見える大変ではなくて、その頃の事を私はミレニアム版幻魔大戦と呼んでいるのですか、私の遭遇した大変と、他の人の大変はおなじではないかもしれないけれど、もしかしたらこの人はそれに関わった人の一人ではないかと思っていて、すごく大変だったのではないかと思っていたのです。
今もそれらはなくなっているわけではないのかもしれないけれど、子供の頃はなかったのは何かの守護があったのかもしれないけれど、地獄の窯が前より閉じたのかもしれないし、今はそういうことはほとんどなくて、前よりは無防備に攻撃を受けなくてすむように何らかの対策ができるようになったのか、忠実なるモグロフクゾウ氏に似た存在が返品してくれているのか、別のターゲットに移ったのかはわからないけれど。
日野原重明いわく、命とは君たちが持っている時間である。
としたら、現実で聴けるのは生きている間だと、この事はする事リストの優先順位上の方の出来事であるようでした。
到着して、朝食を食べながら、予定をたてます。
家でテレビを見ていたときに、ちょうど美術館情報が紹介されていて見返り美人に会える最終の週末だったので行ってみようと思っていました。
もとの絵は群衆を描いていて、そのなかで、ライバル同士の人気のアイドルグループが町ですれ違った瞬間かもしれないと、実在する名前をあげて推測していて、なるほどリアリティーがあるなあと興味を持っていました。
上野まで行きます。賑やかでパンダのぬいぐるみが時折目に入ります。動物園も行ってみたいのですが、今回は時間的にパスします。さつき展が噴水そばでされていました。
東京国立博物館 平成館での『名作誕生 つながる日本美術展』へ。仏像 雪舟 伊藤若冲と名作の数々がならび、人物をつなぐという会場で菱川師宣の『見返り美人』の展示がありました。京都 洛中洛外図 舟木本 伝 岩佐又兵衛筆にある湯女図の構図から、見返り美人につながっていったのかもしれず、当時の流行最先端のファッションをしているそうです。
本館へ。現在は青森県から出土の縄文 遮光器土偶が展示されています。前1000から前400年だそうです。大抵の人は思うだろう「これは絶対宇宙人だよね。」と、そう思っていた時に、そう言って見ていった人たちが通り過ぎました。
体験コーナーで観光らしい外国人の男の子が筆で団扇に漢字を書いていましたが、同世代の日本人と同じくらい上手でした。日本美術見所満載です。
お昼も過ぎて、いい加減くたびれてきて、どうしようかと思っていた時に、埴輪の企画展示があり、再び復活です。
なんとなくユーモラスで古墳時代から既にかわいい文化、あるいはゆるキャラは生まれていたということでしょうか。
上野公園を歩きます。清水観音堂へ。
お参りをして、おみくじを引きます。
月の松です。『浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されました。清水堂の舞台から見下ろした月の松には近江の竹生島の宝厳寺に見立てて建立された不忍池辯天堂と参拝の賑わいを望む事ができます。(台東文化ガイドブックより)』
今回の旅は、江戸もテーマにあるように思いました。
これから渋谷駅に行く予定です。『米津玄師「Lemon」史上最速100万DL突破を記念した看板が渋谷駅に』(2018/5/18)というニュースを知り、見に行こうと思ったのです。
『ROCKIN'ON JAPAN 2017年11月号』で表紙になっているのを読んでからいつか聞いてみようと、ようやく2018年4月ぐらいに『BOOTLEG』からちゃんと聞き始め、作者を知らずにいくつかの曲を聴いていたようですが、「Lemon」がドラマ『アンナチュラル』の主題歌になり、あれよあれよというまにMVの再生回数が増えていき、驚きました。
西郷隆盛像です。大河ドラマで『西郷どん(せごどん)』がされています。
地下鉄に乗っていたとき、座ってからぬれているのかと手で触って確認してしまったくらい冷房が効いていたようです。なぜこんな些細なことでということで怯んだり、不安になったりするときがあるのですが、この時そういう気持ちになっていて、たまたま目にはいった乗客のキーホルダーが「ゆうき」という文字で、必要なメッセージを送られたように思いました。
降りてから、お腹を壊していました。トイレを探し、エレベーターはなかなか降りてこず、長い行列が出来ていたのですが何とか間に合い助かりました。
ハチ公前へ。
ハチ公の記念写真を撮っている人達がいます。外国人も多いです。駅からも見えていましたが、近くまで来て記念写真を撮りました。
なんだか、『星の王子さま』みたいだねえと思います。むかーし子供の頃に読んだことはあるのだろうけれど、絵がかわいいなぁと思って今でも好きだけれど、話の内容は、その頃にはよく理解できなかったのか、すっかり忘れていて、しばらく前にそれから他の人の感想などを読む機会がある時に、星の王子さまが、大事にしていた一つの花があるんだけど、地球に来てみたらそれは薔薇という種類の花とわかって、もっときれいで素敵な薔薇が沢山あることを知ったんだけど、でもやっぱりその花がいいように思い、あるとき狐に、はあはあ、ああなるほどそれはね愛情をかけてきたからですよというようなことを教えられたというようなことが文学的に書かれているのだろうと今のところ思っています。もしかしたら違う内容かもしれないけれど。翻訳者が違う、子供向けを意識したのではない種類の本を、この前購入したので読み返そうと思っています。
お腹の具合は、幸いなことに大丈夫です。十分間に合う時間があったと思うのですが、なぜかZepp Tokyoへ向かう時に、魔が差したように方向を間違うことが積み重なり、到着が遅れてしまいました。まだ明るい、空いているゆりかもめの車窓からレインボーブリッジが見えてきます。
台場線夕焼摩天楼橋見えて昨日のような映画のセリフ
『2018 スプリングツアー 「マキャベリン」』Zepp Tokyo へ。
扉を開けた途端すごい熱気です。
過去の曲も最近の曲も、私にとっては新しく新鮮でした。サックスとの共演もあってすごかったです。
あっという間でした。
セットリスト
ステップ UP↑
ステップアップLOVE
Dog Days
どぉなっちゃってんだよ
Lesson/一青窈
青年14歳
ぶーしゃかLOOP
愛の才能/川本真琴
できるだけ純情でいたい
ヘアー
忘らんないよ
彼氏になって優しくなって
Out of Blue
あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう
だいすき
アンコール #1
Superstition/stevie wonder
どんなことをして欲しいの僕に
Punch↑
祈りの季節
SUPER GIRL
アンコール #2
アコギ弾き語り
Zeppベイベ
ワインレッドの心/安全地帯
卒業写真/荒井由美(エレピ弾き語り)
All In Love Is Fair/stevie wonder
友人のふり
愛はおしゃれじゃない/岡村靖幸w小出祐介
ビバナミダ
2018/3/11 四天王寺 大阪城
翌日です。この日も良い天気です。
気候が心配でしたが、寒さ対策をしていてよかったという感じです。
この日は四天王寺へ。予定はきっちり立てていなかったのですが、ガイドブックを眺めていて、今回はここは行こうと思っていた場所です。元三大師堂からお参りします。地蔵堂です。
五重塔です。
昨日のセットリストです。
13.カンヌの休日
- バタアシParty Night
- SUPER!!
- Surfer King
- 夜明けのBEAT
<アンコール>
- 1/365
- STAR
この日からしばらくして、結婚の報道がありました。おめでとうございます。
お相手の人は、どのような人だろうと、星占いを検索していたら、玉の輿に乗る人と書かれているブログがありました。
玉の輿に乗らなくても、昔、『有閑倶楽部』の漫画で、乗らなくても自分で作れるのではないかというようなセリフを読んだ記憶があるのですが、そういう人であるようにも思いました。
龍の井戸です。
でも、以前サビアンを見ていた時に、女性を表す金星や月が、やけにキラキラしたやさしい波長の人だなあと思った記憶があるので、巡り合った女性はそういう人なのだろうと思うし、そういう人との結婚ということはやっぱり、玉の輿であるようにも思いました。
お祝いにふさわしい曲があるなと思って、それを聞いていたのですが、それだとちょっと違う気分だったので、熊谷幸子の『Good Morning Funny Girl』のアルバムと服部祐民子の『アドバルーン』のアルバムを引っ張り出してきて聴いていました。
ここにも一人、ロスになった人がいますよアピールです。昔好きでよく聞いていたのですが、今聞いてもいい曲でした。
丸池です。
亀の池です。
隣のお堂に入ると大勢の人が並んでいて、何をしているのだろうと、門の近くの受付で尋ねると、舎利出で、こちらでも供養をしていただけるようでした。
この前から、よくわからないなりに、縁のあるときはそういうことをした方がいいのだろうかと思い、受付ぎりぎりでしたが最後の組でしていただきます。また来る機会があれば、もう少し早い時間に来て、お舎利を頭に頂きたいです。そういう習慣があるのか周りの人たちは熱心に供養されています。
六時堂と石舞台です。
この日は3月11日です。『クロニクル』のLaid Backを思い浮かべます。
占星術の本を読み返していて、幼い子供の認識?できる未来はへぇそんなに短いのかと、驚いた。確かに子供の頃の五才差は大きいし、何年も前、私より若いけれど、成人はしている作家さんで、すごく頭がよいと思うけれど、それでもやっぱり見えないベールみたいなものがあって、その年齢を過ぎないとわからなかったこと違う感じ方になることがあるんだと思ったことがあります。
本質的なことは変わらなくても。小学生ぐらいのときの課題で、身近な大人や祖父母などに戦争体験について聞いたり調べることというようなのがあったと思う。その頃にはすでに遠い昔の出来事のように思っていましたが、最近、戦没者の供養や慰霊碑があると、そんなに昔ではなかったと感じようになっていました。子供の頃、いやらしい卑猥な昭和な感じのお姉さんの写真だと思っていたのが、じかんがたち偶然同じ写真を見て、随分幼い顔にこってり厚化粧しているなあと感じたり。
桜が咲いています。
動く気配があり、目白が来ていました。
亀井堂へ行きます。お経木流しをします。どうすればいいか知らずに忘れたままにならなくてよかったです。牛王尊があり、案内をしながら動物の供養の日本最古であるというような説明をしているのが聞こえてきました。
宝物館の前から、太子奥殿です。
『四天王寺のお話 四天王寺が創建されたのは、いまから1400余年前の推古元年(593年)。聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため仏教の守護神である四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を安置して建てたと伝えられる。』
宝物殿に行きます。平成30年春季名宝展 企画展「地より湧出した難波の大伽藍-四天王寺の考古学-」がされています。『2016年度より行われてきた2000点超の出土瓦の再調査の中間報告を兼ね、飛鳥から平安時代初期までの考古資料が紹介されます。館蔵の境内出土瓦290点と、講堂跡で出土した金銅製風鐸や和同開珎、奈良二彩陶器などは重要文化財に指定されており、それらは単に四天王寺の歴史だけでなく、孝徳朝の難波遷都に始まり、聖武朝の難波宮再建、桓武朝の平安京造都と、都城整備に深く関わった歴史を物語ります。四天王寺が今日まで文化と信仰の中心となり続けた、歴史を紐解く企画展となっています。』
仁王門です。
太子殿です。
南無阿弥陀佛の幟です。
旗の文字の書体が大工道具です。
いろんな宗派が同じ場所にあります。
講堂では、玄奘三蔵の事跡の壁画を見ることもできます。
造幣局です。
地下鉄で移動し改装中で入れないけどいつかいってみようと思った美術館とまだ咲いてない桜並木の側を通って大阪城まで歩きます。
大川です。
はるかすのミニチュアの街入る春
藤田美術館です。『玄奘三蔵絵』鎌倉時代作の絵巻物の国宝があるそうです。
大阪城が近づいてきました。
猛禽類を飼育しているらしい人が、鷹やフクロウ?を連れてきていました。
かわいいです。
お肉をあげています。
現在の大阪城は1997年に大改修されたあとの姿だそうです。
実のところ私は豊臣秀吉があまり好きではないのですが、それは子供の頃に歴史の本を読んでいて、茶々の結婚の話が載っていて、やっぱり同性の運命は気になるから、かわいそうだなぁと思って。
仕方がないのかもしれないし、幸運なことだと思った人もいるかもしれないけれと、なんか違うと思って、それから月日がたったけれどやっぱりおんなじように感じていて。
天守閣内は歴史資料館になっています。以前、旧陸軍第四師団司令部だった建物は、旧大阪市立博物館になり、現在はミライザ大阪城というショップとレストランになっていました。
そういう思いを持っていたのにも関わらず、神社で引いたおみくじの結果は悪くなくて、銅像からも嫌な感じは受けなくて清浄な気配でした。
豊国神社です。
彫刻家中村普也作の豊臣秀吉像です。
御神籤は第七番 吉。
『朝夕に歩みをはこぶものなればねがわずとても我はまもらん
遠くにあっても神様は人の真心をご存じですので、朝晩神様にお参りするつもりで感謝の気持ちを持って拝んでおりますと、必ずお恵みをくださることでございます。』
多門櫓です。『多聞とは松永久秀の居城「多聞城」の建物に由来する様式名。』
千貫櫓が見えています。『名称は石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文を出しても奪いたい」といわれたことに由来するという。』
生国魂神社の御旅所跡です。
こちらも来ることができて良かったです。
日暮近くなり、ひんやりしてきます。
鵲森宮です。聖徳太子のお作りになった神社で元の四天王寺とも言われているそうです。食事をして戻ろうと思い、寄り道していたら偶然訪れたので、何となくつながっている気がします。
創建 崇峻天皇二年(589年)
五幸稲荷社は宇賀御魂命を祀る日本唯一の稲荷社との由緒書があります。
井戸があります。
聖徳太子ゆかりの亀井水です。
『鵲橋の話
鵲森宮の境内には、大伴家持(おおとものやかもち)の歌碑があります。
鵲之 渡瀬瑠橋迩 置久霜乃
白気乎見者 夜曽更仁来
という『小倉百人集』で有名な歌です。出典は『家持集』です。』
それから、また時間が経ち、2018年5月頃に、『鬼太郎のみた玉砕』のテレビドラマをネットで見ました。子供の頃、『のんのんばあとオレ』という水木しげるの少年時代のエッセイが原作のテレビ番組を楽しみに見ていたのですが、『鬼太郎のみた玉砕〜水木しげるの戦争〜』(2007年)も印象に残っていていました。そのドラマの最後の方で、同じ軍隊の亡くなった人たちが現われる場面があるのですが、その時に、丸山(水木しげるの分身)が26年ぶりにラバウルに行ったとき笑い出し、当時丸山をいびっていた上官に、なぜその時笑ったのか問い詰められて、その時絞り出した答えが、「自分でもわかりません」「自分が元気で生きているのがゆかいでうれしゅうて」と伝えていました。その後のシーンは良い終り方でじんわりします。
それで、このとき、行きがけの船から降りたとき、なんだかこみ上げてきた笑いは、その時と同じような種類のものだったのかもしれないと思いました。
2018/03/10 難波
今回は大阪でのフジファブリックのライブに行きます。
何から書こうかな。その日から今まで沢山時間があったので考えたことは随分あったんだけど。
私がフジファブリックの曲をちゃんと聞いたのは2017年ぐらいで、それまでも『モテキ』で耳にしていたり、いくつかの映像と曲は聞いたことがあって、今時の若い人達に人気のある曲なんだろうと思っていたと思います。
2016年の年末ごろに、それまでYouTubeで気になっていた斉藤和義の歌う『地平線を越えて』を聴きたくなって、DVDを購入し、そのとき作った人達のも聴いてみようと思ったのがきっかけです。
それから延々と聴き続けて日記を拾い読みして楽器ごとに聴いてみて、少しずつ時期が離れて他のアルバムも聞いて『クロニクル』も聞いて、また戻って聞いていました。
はじめにあれっ!?ておもってちゃんと聞いてみたときに思ったのは、まいったなあ、ロックオンて感じ、なんかつかまってしまったかもしれないっていう意味も含めて。
とても伝えたいことがあって心残りだったのか、それまでも偶然やなんだか不思議なことが起こっていたのかも知れなくてもはっきりとわかってなかったことがつながっていったような、霊界通信で夢で見たこともその時は分からなかったけど、もしかしたらということがつながっていって。2017年の2月3月ぐらいです。
夢の内容は、びっくりしないように、ショックを受けないように、なるべく辛い思いをしないとよいなあ、笑みがうかぶようなと思っているような、やさしいのだろうなと思うようなおかしな人だなあというような内容です。
やさしいということならフジファブリックみんなそうなんだろうと思いますが。
でもなんだか順序が逆じゃないかと思う。
2018年の9月30日に『オッドトーマスの予知夢』を読み終わって「何事にもしかるべきときがある」としても。『霊感』は、読むと会えるような気がして好きだな。この時持っていった本は、『 救済』でした。
色々気になっていたホロスコープを眺めて、それでなにかわかるわけじゃないけど、私にとってフジファブリックの音楽の効果は、その一つは「思考が健康的になります」という占いの言葉に頷きます。
些細なでも日常で起きるギャップ?流れていく見えない切り傷をつくるようなことに遭遇したときに、『ファンシィダンス』でマソホさんに気にするなよって聞こえる時のような。
翌朝は晴れです。
フェリーターミナルの通路で、下船する前にお手洗いで、近くにいた部活の遠征ではないかと思われる学生らしきひとが私を見かけて、ついてないなあというようなことを隣の人に言っていたのを思いだし、同じ舟に乗っていたのだから、同郷の人なのではないかと思うけれどその事を思い出して、『クワイエットルームにようこそ』のラストのシーンの主人公のように、なんだか笑いがこみ上げてきて軽快な気分で歩いていました。
生国魂神社へ行きます。大阪の総鎮守であり、2700年ほど前 神武天皇が生島神(いくしまのかみ)足島神(たるあしのかみ)を祀ったのが創建だそうです。
お参りをして、摂末社に行きます。お稲荷さんがあります。お百度まいりというのが、生々しいです。お稲荷さんは、地元にはほとんどなくてあまりなじみがないのですが、ご利益がありそうです。
旅の挨拶や安全、あれやこれや祈ります。
Dr.コパの風水術の本を、現実にそった知恵や自分にもできそうな開運の具体的な行動や方法が載っていて、時々思い出したように眺めるのですが、あるとき、2011年ぐらいに「お悩み相談は人より神さま」というような風水縁起に特に惹かれて、自分では対処できそうもない問題が山積みのように思えて、どうしようもないように思えるときはそれから、神社に前より良くいくようになったように思います。
おみくじを引きます。「凶吉向(きょうきちにむかう)」という初めて見る種類のおみくじを引きました。
本殿です。
時間はかかることもあるようですが、報われるようなよい内容でした。
こちらの狛犬は、角のある狛犬です。お参りを終えて、あべのハルカスへ行きます。
地下鉄の案内に沿って出たところからの景色です。
建物の屋上、はるかす300展望台 地上300メートルへ。
高いです。天気に恵まれ、大変見晴らしが良いです。「晴るかす。 それは「晴れ晴れとさせる」を意味する古語。」と紹介があります。
下がガラス張りになっている個所があり、大丈夫と分かっていても踏むのは怖いです。明日行こうと思っている天王寺もよく見えています。
「EDGE THE HARUKAS(エッジ・ザ・ハルカス)」というアトラクションがあることを知ります。「地上300mのビル最頂端部となる外周ガラスの上部に新設した、 幅約60㎝、長さ20mのデッキの上を、命綱を装着して歩き、スリルを味わうアトラクションです。 このようなアトラクションは日本初となります。超高層ビルから真下をのぞくことができるぎりぎりの場所に 身⼀つで⽴ち、さえぎるものが何もない状態で360度の絶景と、はるか眼下に広がる街並みを全身で体感いただけます。」
2018年3月7日より始まったようです。
時間が早いため、予約なしで参加できそうなのですが、意外に自分は高所恐怖症だということに大観覧車に乗った時に気付いたので、前もって相当覚悟を固めてでないと当日の思い付きでアトラクションを体験してみることは無理でした。参加している人に手を振ります。イナバウワーすごいです。
タワー兄弟が見えます。
天空庭園でパインアメソフトクリームを食べました。
あべのハルカス美術館で東郷青児展を鑑賞します。教科書か、画集かなんで見たのか忘れたけれど、『超現実派の散歩』もあります。
「青児のことば 僕はサンティマンタリズムを、ほかの人ほど軽蔑しない。絵をかく動機が、サンティマンによって発火されることが縷々あるのだ。(中略)僕は甘いトロケルような絵が描いてみたい。しかしそれが純粋でなかったら、それこそ鼻持ちがならないに違いない。」
美術展のポスターの ―青児美人のできるまで とある女性の絵の数々と『超現実派の散歩』の絵の作者が、同一人物であると結びついていませんでした。
でも、考えてみれば、生誕120年で、激動の世界対戦や物資不足の時代も変わらず、真の芸術を伝えたいと自分の美の世界を保ちつづけたということはそういうことを意識することなく作品を鑑賞していたということが偉大な事だったのかもしれないと思いました。
なんばHatchへ道に迷うといけないので場所を確認しようかと思っていたのですが、そのまま一旦、宿へ行きます。案外迷わずに到着できました。
そんなこんなで、現実には知らないのに、その頃にはすっかりよく知っている人達のような気になって、会場へ。後ろの方にいました。楽しかったです。
フジファブリックのメンバーの出身地の紹介の時、それぞれバラバラですが、大阪出身と認識されてないのじゃないかと、話していました。ふーむ。出身地は知っているが、そのなかでは唯一琵琶湖の水で育った琵琶湖の民ではないだろうかと思っていました。
券確認黒としましま春の服
この日の俳句です。
サポートドラマー・玉田豊夢 軽やかに楽しそうに演奏していました。
瀬戸内海の方向です。
以前、大分の「KAZUYOSHI SAITO LIVE TOUR 2013-2014 "斉藤 & 和義"」以来、親しみをもって、あ、豊夢くんだ、とメディア等で見聞きする機会があると思っています。
あまり、そういうタイプではないと思いますが、ごくたまに邦楽のロックの雑誌を読みます。(ニルヴァーナの特集があるときは、洋楽も日本版のを読みます。)
それで、2001年ごろに、集中して読んでいた時期があって、その時にそのころの写真を見ていたのではないかと思うのですが、探せば発掘できると思うのですが。。
なかなか得体のしれない闇鍋というか、未知の可能性の集団というか、そういう感じの、たぶん今よりだいぶ尖がって。
2018年から、時々朝のNHKの俳句の番組を視聴するのですが、瀬戸内寂聴に、現在のかつてより、より大変になっているような時代に生きる若者はどうすればよいかを尋ねた時があり、回答はいつの時代も若者に必要なのは恋と革命で、そういうのがあればいいんですよというようなことだったのですが、今は余裕や洗練が占める部分は、そのころはそれらのエネルギーがより高かったんだろうという感じで、でも音楽は美しくと思われるそのころの演奏も実際に聞いてみたかったと思いました。
もっとも、当時の私はかろうじて形を保ってはいるものの、崩壊寸前だったので、頭では理解できても、現実では何も受け取れず外側を流れていくだけになったかもしれません。
ドロシー・ギルマンの『一人で生きる勇気』を数日前に手に取ってぱらぱらと読み返し、孤独について書かれた章があり「むずかしい問題には一人で立ち向かわなければならないとか、特別な経験は―残念なことだか―、けっして人と分かち合うことができないとかいうことがわかったときに感じる孤独感である。」という箇所が開き、ずいぶん後になってから、もしかしたら、フジファブリックの人達は、同じ場所を通ったかもしれないと思いました。
帰るときは、迷いました。
夜景がきれいだなーと寄り道したら、方角がわからなくなったのと、ついてから、出る場所の番号を間違えて、夜になり景色も見覚えがなくて。戻って、たどり着けました。