2019/5/1~5/15
5/1 秘められたサンゴの海のわらべ歌なごりのような御守選ぶ
5/2 打ち終えて目印連なる鯉幟
5/3 洗濯機ひたすらまわる春の果
5/4 足のマメまだ痛み読む遍路道
5/5 あと二日休みひとりじめ柏餅
5/6 十連休残り一日何もせず
5/7 郵便配達ぶつかりそう燕
5/8 天辺に挿し木のバラのたくましく
5/9 アイスの日解凍待ちのチョコロール
5/10 臨時ニューストラフ連想夏の朝
5/11 織り物のような葉組のかきつかな
5/12 いっせいにあふれる色彩初夏の庭
5/13 夏来る散歩の時間変える朝
5/14 夏初め視力検査気にかかる
5/15 シンプルなパラソル探し選びかね
2018/5/28 東京 スカイツリー②
ここから歩いて、日枝神社まで行きます。原発反対の替え歌を聞きます。表参道(山王女坂)を通ります。
『「古事記」に『大山咋神(おおやまくひのかみ)。
又の名は山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)。
この神は近淡海国(ちかつあふみのくに)の日枝山に坐す。
また葛野(かづぬ)の松尾(まつのを)に坐す。
鳴鏑(なりかぶら)になりませる神なり』とあるように、近江国(今の滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まりましたのが最初で大年神(おほとしのかみ)の御子神で、別にその御名を山末之大主神とたたえて申し上げます。』
『当神社は江戸城の鎮守として徳川家の崇敬は特に篤く、将軍世嗣、子女及諸大名等の社参は絶えることなく、毎年正月・6月には使いを遣わして幣を奉り、国家事ある時には必ず祈祷を修し、崇敬他に異なるものがありました。
東京奠都の後明治元年11月8日准勅祭社に、同2年7月2日祈年奉幣の列に入り、同5年5月8日府社に定められましたが、皇城の鎮護たる故を以て同15年1月11日官幣中社に列せられ、大正天皇御即位にあたり、更に昇格して官幣大社に列せられ、終戦と共に社格は廃せられましたが、宗教法人として都民の尊信を専らにしてかわることなく今日にいたっています。』
政治の中心の永田町に建ち、江戸時代には「国家事ある時には必ず祈祷を修し」とある神社ですので、内戦や国がなくなるという事はどういう事かと考えていて、日本のインフラが外国資本に占領されて内部崩壊しませんようにとお願いすることにしました。私が祈って聞いていただけることかわからないのですが、めぐり巡ってそれらのひずみは弱い部分に一番しわ寄せが来ることで、私が受けてきた理不尽な言葉や扱いは、戦争孤児の状況と程度は違っても共通するものがあるように思いました。それにスピリチュアルな世界では、頼まれないのに手助けするのはできないようなこともあるようでした。
『霊感体質かなみの不思議な日常』のコミックエッセイに書かれている日枝神社の情報も参考にします。九尾の狐が祀られている山王稲荷神社の方では作業がされていたので、先に本殿にお参りしました。神様のお使いが猿なので、狛犬ではなく猿です。
まじないとか霊感とか良くわからないけれど、もしあるのなら、今ある分全部空になるまで使い切ってお願い出来たらいいと思いました。私は以前使い切ったような時があって、このときはその時のようにはならなかったので何らかの作用がおこったのかどうかはわかりません。
『第十一の予言』シャンバラの秘密では、祈るとき、怒りや憎しみがあるとエネルギーの場が壊れてしまうそうです。登場人物一人が、悲惨な出来事があり祈るのが難しいと語る場面があるのですが、私にも時々血がどす黒く濁るようなそれらの感情が湧き上がるときがあるのですが、福島のお猿さんの生態の記事や他の大事なことを思い波長を合わせて祈ることが出来たらと思いました。
先ほどの作業は終わったようなので、末社の方へお参りに行きます。山王稲荷神社と猿田彦神社が並んでいます。列ができています。持ってきた日本酒も開けて願い事をしました。(お酒は持って帰りました。)『ADAMAS』⑨の漫画を読んでいて、登場人物のロシアでの過去編の話なのですが、ソビエト崩壊後のストリートチルドレンで漁るゴミさえなく真冬の地下道に住み、大変な生活をしていたようでした。本当かなと思ってネットを検索していたら、マンガの要素を別にして、実際に大変な状況があって、ペレストロイカの起こる前の冷戦状態のソビエトの生活など私が知る由もないのですが、その頃にも理不尽な人権の問題があったようですが、その後は戦争が起きなくても敗戦後の日本と同じような状況だと思いました。
赤い鳥居を降りていきます。
せっかくなので、時間的に登れませんがタワー兄弟に会いに行きます。
東京タワーは60周年です。
そのまま歩いて増上寺へ行きます。
『増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。
酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。
その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。』
大殿、安国殿とお参りします。境内の徳川将軍家墓所です。前日に日光東照宮へいき、この日は墓所の拝観をします。
まだ途中ですが『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち 』マイケル ・ルイス (著) 単行本 – 2014/10/10を読みかけています。 「(内容)二〇〇七年のある日、ウォールストリートの二軍カナダロイヤル銀行のブラッド・カツヤマは、さっきまで画面にあった売り注文が、買いのボタンを押すと、蜃気楼のように消えてしまうことに気がついた。その謎をとこうとパズルのピースをあわせて見えてきたのは、コンピュータ化された市場で常態化した巨大な八百長、ミリ秒、マイクロ秒、そしてナノ秒のしのぎを削って私たちを先回りするフラッシュ・ボーイズの姿だった。唖然、呆然、これでは一般投資家は絶対に勝てない。」
墓所は宝塔がならび、静かです。
四菩薩像があります。
それで、私が金融や経済について何か語れるわけではないけれど、それでも引っかかったことがあります。その本の冒頭でロシア人のコンピュータープログラマーのニュースについて書かれています。そして不思議に思った言葉に中に出てきた言葉に、「「今のところは何も起こっていませんが。ウェブ記事についている15件のコメントは、どれもロシア人の通販花嫁(メールオーダー・ブライド 訳注:通販カタログのように、ウェブ等に自分の情報を載せて、結婚相手として男性に買ってもらう女性のこと)です」。それでも記事をきっかけに、BATSと、クレディ・スイス銀行にちかいある人物から連絡があり、こんな助言を受けた。」という不正を告発した記事を掲載した経緯が書かれた箇所の、“通販花嫁”があります。
背後に東京タワーが見えます。
冒頭のニュースのロシア人は、ベルリンの壁の崩壊した翌年の1990年にロシアを離れましたが、したい勉強と働き口を求めてでした。別の本を読んだとき、ロシア人の宇宙船の設計者やエンジニアが、アメリカの金融街に出稼ぎに来ているというような表現をされていて、モラルの麻痺ということや腐敗もあるけれど、それについてはあまりわかっておらずセキュリティがあっても鍵のかかってないドアをあけるような技術格差で、技術者のほうはそれが求められ愛国心は母国にあるようでした。
境内からは空が広がっています。
安国殿です。『平成23(2011)年法然上人八百年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として徳川家康公が成し遂げた"天下泰平の世(安らかな国づくり)"を願い、新しい安国殿が建立されました。 本堂中央に本尊である、恵心僧都の作と伝えられる秘仏「黒本尊」(御開帳・黒本尊祈願会、正月・5月・9月の15日)は、家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。』
三解脱門とグラント松が見えます。
不正を暴こうとする立場から、ある人物から憤り出た言葉は「あの連中は、自分たち以外の全員の年金口座を使って金を稼ごうとしている。カモられているのが誰なのかもわかった。おれの母親や父親みたいな人たちだ。だからおれは無我夢中で、かもってるのが誰なのかを突きとめようとした。」とあります。自分の国に対する思いや大事なものや場所があって、それを守ろうとしていて、それが壊れると連鎖して大変だと思ったのです。そしてそういう風に大切に思えるような場所であり続けることも。
本殿です。『昭和49(1974年)年、大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。首都圏では最大級の御堂で、石段を登りつめた二階に本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室があります。
本堂のご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。 』
三解脱門です。江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物だそうです。時代を感じます。『三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。上層部(楼上)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。』
通販花嫁という言葉に引っかかったのは、自分が何となくおんなじように自分の知らないところで、そのように売りに出されたような気持になることがあって、それは積極的に婚活として頑張って、幸せになった人もいるのかもしれないけれど、もののように扱われるのはフェアではないと思いました。
境内の案内です。
三門から出ます。近くで観光らしい外国人に道を尋ねられますが、答えられません。おみくじを引くと、学問のところで英語を頑張れと良く出るので、義務教育辺りから学び直す時期が来ているのにずっと先延ばしにしているのかもしれません。
スカイツリーへ行きます。地下鉄を利用して移動し、建物の中を通り、ソラマチ広場に出ます。
なんていうか、昔目を付けた商品が、自分好みのオプションをつけてその通りになると思っていたのに思い道理になっていないから、間接的に婉曲に文句をつられているよな気分というか。圧をかけて、曲げようとしているようなというか。
近くからスカイツリーを見上げます。カメラに納まりきりません。
エレベーターに乗って、鷹さ350mの展望デッキへ。窓にスコブルブルがいます。
ある価値観からしたら、どんどん値引きされていって、それはある面からは間違っていないのかもしれないけれど、自分の存在が取るに足りなくなっていくような、小さく小さくなってすり減っていくような。
『アベンジャーズ /インフィニティ・ウォー』の公開を記念し、アベンジャーズとスカイツリーのコラボイベントが開催されていました。
運が良ければ富士山が見えるかもしれないと淡い期待をしていましたが、残念ながら薄曇りの天気です。
最近、占星術の相性占いの本を読みました。(その本のオーブは私には狭く感じられたので、もう少し広めの一般的な範囲で読みました。)Drコパの風水の本で、「その人と向かい合ったときの自分の直感を信じましょう。相手と接したとき、お互いにいい面が出てくるようなら、あなたにとってその人は、「運のいい相手」なのです。」という縁起があり、覚えているのですが、やっぱりそういう見えない化学変化というのはあって、星占いにも表れるのかと思いました。
先ほど近くにいた東京タワーが見えます。
占星術のブログをいろいろ読んでいて、結婚について書かれていたのを読んでいたら、夫婦というの平等であり、自分も神に祝福された存在であるが、相手もそうであるというのがなければというようなことが書かれていて、そうだなと思ったのですけれど、その時の私にはそれがなかったように思うの ですね。
お台場方面です。
新宿方面です。
浅草方面です。陽が射します。
スカイツリーつかのま夕焼枕橋
東京ゲートブリッジです。
視界が霞んではてがぼやけて、昔見た未来の想像図の景色のようです。
お花の『挿花』の2018年12月号を読んでいたら、晒し木の記事が載っていました。
「流木は一本として同じものがなく、形がまるで違います。ある人が魅力を感じないものも、ある人にはすばらしい宝物になる。そんなところに面白みを感じます。」あんな風に、すり減っていくように感じるのではなく、私にも、後半のある人にとってはのような関係があればいいなとおもうし、もしかしたら、そういう出会いがあったようで、そうならいいなと思うし、それは奇跡的なとても幸運なことに思いました。未来がどうなるかなんてわからないけれど。それでも。
天望廻廊へ。緩やかな廻廊を歩きます。
インド占星術で占ってもらう機会があって、それで興味をもって、『流水りんこのインド占星術はすごいぞ~!』という漫画を読みました。日本では占いはエンタメ扱いでしかないものがインドでは占星術は生活に根ざしていることが不思議でしたと話す場面では、迷信ではなく、今では科学として国の大学や機関で研究され教育されている学問と分かりやすく説明されていました。
ガラス張りの床から下が眺められます。枠の小さい格子が入っているので怖く感じないのかと思いました。
そして占い師の「占星術は不思議です 計算ができるようになっても師の祝福がないとうまくいかない そして経験値と人に伝える力 一生学ばなければダメ でも学んでるいるだけではダメ」とやわらかい表情で答え、占う前に神に人の運命を占う許しを得て、助けをもらえるように祈ります。というのも印象に残っています。
展望回廊 451.2mの最高到達点です。
インド占星術のレジェンド ラオ先生との話も載っています。運命というのが繰り返しで、何も変わらないとしても、漫画の『SARU』であったように、同じ登場人物が時代を変え立場を替え繰り返し出会って物語が進行していたのに、とるに足りないような何の変哲もないイレギュラーな女の子が一人現れたことで、ちょっとずつ運命が変わっていって、世界が破滅から救われたように、同じことの繰り返しにならないほうがいいことがあって、些細なことから、そちらの運命にならないですむこともあるかもしれない。
そう思うと、私がそのような願い事をするのもそれらにかかわっていくなにかであるかもしれないと思えました。
ベビー・グルート! もしも前世が宇宙人だったら同じ種族だったのかもしれないと思うところもあり、普段そのようにキャラクターに夢中になることはないのですが、あまりの可愛さにお土産売場でフィギュアを買ってしまいました。
短日やスカイツリーなき時重ね曲が流れる遠景を知る
スカイツリーの全体像を地上から見ることなく帰路に就いたので残念におもっていたのですが、2018年12月に『ここは退屈迎えに来て』を映画館で鑑賞し、こんな景色だったのかあと知ることができました。
2019/1/16~1/31
1/16 遅くなり睡眠負債に冬時雨
1/17 冬の雲予期せぬ重なる見直し
1/18 人知れず捕り物のある冬の朝
1/19 水風呂もつかり帰宅する湯ざめ前
1/20 切り替わる食後手を伸ばす伊予柑
1/21 不審事件スーパー・ブラッド・ブルームーン
1/22 用済ませラインラジオ繋がる冬
1/23 丸まった日向ぼこりの猫ぬくい
1/24 忘れずに寒垢離続ける湯につかる
1/25 風邪気味に生姜成分入りの菓子
1/26 余る枝の蠟梅の匂い淡くなる
1/27 日向ぼこ『ファンシィダンス』読み返す
1/28 日脚伸ぶゆるく筋トレ背を伸ばす
1/29 冬は、つとめて。涙こぼるる寒夜
1/30 橋の下一塊の水仙花
1/31 パイの耳鬼をかじる寒の内
2019/1/1~1/15
1/1 時を経て歌は記憶にお正月
1/2 同じ道風景変わる初詣
1/3 初仕事磨き残しの窓光る
1/4 お弁当お節の名残四日かな
1/5 物思い初売りの声我返る
1/6 運勢は?激混み抜けて六日かな
1/7 『シャイン』思い出し星に聞くくらいはいいかなぁ
1/8 道沿いの埋め立て進む冬田かな
1/9 包まって再び起きる布団かな
1/10 ストーブにやかん並べて湯を作る
1/11 用心しニュースに接す冬の朝
1/12 少し肥え風邪の良くなる子猫かな
1/13 玉手箱残りの流れる冬の日
1/14 顔見せて換気扇回し冬灸
1/15 本屋寄り読み解き試す星の綾
2018/5/28 東京 スカイツリー①
翌日です。薄曇りの天気です。
予定は前日の夜まであれこれ立てていました。全部回れるかわかりませんが、行けるところまで行こうと思います。
朝、テレビをつけたら『ゲゲゲの鬼太郎』が始まったので曲を聴こうと終わりまで視聴します。随分久しぶりに見たアニメは猫娘の変化が著しかったです。国会中継もあったのですが、この日に国会議事堂も見学する予定です。高円寺陸橋と日枝神社と、スカイツリーも。
相変わらず、何をお願いしようかなと考えていたのです。
この日は、まずは高円寺に行きます。丸の内線の東高円寺で降りて、蚕糸の森公園を通ります。工事中だったのでよくわからないけれど、昔はもっと地面があって広かったような気がします。一時期近くに住んでいたことがあったのですが、もうそんなに月日が経っていたのかと驚きました。ほんの少し前のような気がします。
なんていうか、そのころから数年後と数年前まで記憶があやふやではっきりしない時期があるような気がします。『ダリアの帯』にあったセリフのように、「わすれます わすれます なにもかもわすれます なにもかもわすれて生きねばなりません」とあったように。あるいは、そのころ読んだ映画があり漫画にもなった『僕らはみんな生きている』(大手建設会社のサラリーマン・高橋は、社命により西南アジアの小国・タルキスタンに出張することになった。飛行機で約16時間かけて辿り着いた現地で彼を出迎えたのは、どこか怪しげな支店長の中井戸と、その運転手をしているセーナという現地の女性だった…。次第に現地での生活に慣れ、セーナに心惹かれてゆく高橋。やがてパスポートを紛失し、日本に帰れなくなってしまう。一巻の内容紹介(そしてテロに巻き込まれていきます。))にある、セーナがクーデターのニュースを聞いて、急いで帰国して命からがら家の前までたどり着いたときの回想シーンのセリフのように『「……すみません むごいことを思い出させてしまって」「いいの,この国じゃよくある事だし,気にしないで,それより作業続けて. 人間の脳っておかしなものでさ,どういう防衛機能が働くのか,正気をなくすほどのショックを受けると,一種のブレーカーが降りちゃうのね.」「ブレーカー?」「それがどういう状況なのかは確かにわかってて,フォクウィク(処刑)にかけられている人たちが誰なのかも確かにわかってるんだけど…でもそれが少しも哀しくないの,おかしいでしょう.目の前にあることなのに,映画の1シーンみたいに,まるでリアリティがないのよ.現実と自分との間に,透明な硬い膜ができたみたいな…….…そのあとのこともあんまり覚えてないんだ.同じ原理が働いてね.気がつくと,街のなかでうずくまっていて,ナカイドがずっとこちらを見ていた.」』私の人生にもある時期そういう作用が働いたようでした。
高円寺陸橋の写真を撮ります。蚕糸の森公園の門のところで、ここなら見覚えが確かにあると思いました。そのころの私のおもにしていたことは本を読むことで、他には課題に追われ、行動範囲が広かったわけではないけれど、それでも近くを散策してみたい気がありますが束の間で移動します。ここに来てみたかったのは、後になって気がついてそれがなかったら絶望したかもしれず随分救われて、私にパードレとも呼ばれている人に会いに行くような気がしたからです。
誰にでもテレパシーやそういう言い方が大げさなら虫の知らせというようなものあるとして、それが拡大して作用する時期があったとしたら、私はそれが酷いころ、デライのように『あまりにも多くの欲深い手が一つのツボに入れられている』ような状況を感じていて、それがどういう存在なのか私にはわからないけれど、もしかしたら私にまじないの能力というようなものがあると思ってそれらの人々にとってそれが状況を有利にするとても魅力的なパワーアイテムのように思われたからだろうか。占いとのかかわり方について、エスパー小林という人の本だったと思うけれど、占いには懐疑的だったけれど、人間にはバイオリズムというものがあるから、そういうのを知るために自分と相性のいいあっていると思う占いを参考にしてみるのがいいのではというようなことを書いてあって、なるほどと思ったことがある。私が今参考にしているのは、占いがあったっているとかよりも、たまに遭遇する人生哲学みたいなのが救いになったことがあって気にいっているのだけれど。その占いの本は、占いは簡単に結果が出るもので試してみて、一喜一憂したり鵜呑みにしたりする必要はないとわかりました。それに凶を避けて、昔の貴族のように方違えを繰り返しても問題や宿題の先送りや、幸運の先取りになるようだとおもいました。そういう超常現象的ななにか不思議な力があって、それが働く時期があるとしたら、私にとってのその力の働くバイオリズムのピークはもう過ぎたのだと思います。何らかの不思議な力があって、それらを生れた時に預かってきて誰かに渡すためだったのだとしたら、それは龍から見えるような人ではないかと思います。昔、自作のメモ帳で作った栞があって、それに書いてある言葉は、十善戒と、「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ。知識を求めて努力するものは神に祈る。」マホメッド “人間を超える存在によって生かされる感謝”神谷美恵子 です。祈るときに私はこの言葉を唱えるときもあるのですが、知らずにそういうことでなにかに使われたのなら、諸々の事に諦めがつくように思いました。祈りの言葉は、キリスト教の祈りの載った小さな本で読んだ平和を求める祈りも好きで、そういうことを祈ったことのある人、そういうことを成し遂げる人にそれらの力が流れたのならよかったなとそうしたこともあったかなと今は思うこともあるのです。
十年以内ぐらいでよく思い浮かんだイメージに、合わない歯車を無理に合わせよう合わせようとするのがあったのですが、それが見えない世界で、私を利用しようとする力の象徴のようなものだったのなら、合わない歯車を無理に合わせようとしても何も起こらないか、反発するか、壊れるかだと思います。昔、ものにすればというような言葉を聞いて驚いたことがあるけれど、その人はその時、何かの思惑や悪意があってその言葉を使ったわけではないけれど、そういうことをしようとする人もいるということを身近な現実として認識する機会だったということが言いたかったとういことで私のことをものにしたって、合わない歯車なら何も起こらないです。HONKOWAをいうオカルトの漫画雑誌を読むのですが、本能的にそっちではないと感じた直感を大切にしたほうがいいというエピソードが出てきて、そういう私の直感はずっとそれらの勢力にそれを渡してはいけません。それは私の役目ではないし『宇宙が私の魂に与えた進む道』でもありませんと分かっていたのかもしれません。それにその力がもらたすのは、棚ぼたの幸運ではなくて、昔話で読んだことのあるようにおもう、遺産をブドウ畑に埋めたと言い残して亡くなった父の言葉を信じて、畑を掘り返したら、土が良く肥えて豊作になったというようなことなのではないかとも思います。
その必然があって歯車が回った人は既に回っているのだと思う。
私は、何だか変だと違和感を感じながら『白鳥の湖』に出てくる黒鳥を、自分を救ってくれた白鳥と勘違いしたまま死ぬようなことにならなくて、良かったのだと思います。本当がないのはそれがいいことではなくてもとても悲しい事だから。その頃とても不安な人で加藤諦三の本をよく読んでいたけれど、これで大抵の人は騙せるなと騙った人のエピソードが何故だか思い出されます。私にはよく理解できなかった。
以前、日本国憲法って実はとても素晴らしいんじゃないっていうような気運になったとき「永久保存版付録「日本国憲法全文」つき!公布から70年を経過し改正が争点として浮上する中、漫画史上初めての試みです!週刊ビッグコミックスピリッツ 32号 2016 年7月4日(月)発売」があり、読みたいなとおもって本屋に行くとすでに売り切れになっていて、それでも気になって本を探していてしばらくして『文学部で読む日本国憲法』著者 長谷川櫂 を読みました。その本でその時に特に印象に残っていたのが、「同じようにあらゆる国家は自分の統治を正当化する大義名分を必要とします。- 人間の世界は事実だけでできているのではありません。事実と同量あるいはそれ以上のフィクションでできています。そしてフィクションはときに事実以上に人を動かす力を発揮します。」の部分と「夏目漱石(1867-1916)の『三四郎』(1908)は日露戦争後を舞台にする小説ですが、登場人物の一人に「(日本は)亡びるね」と語らせています。」という箇所です。
2015年五月号の俳句の雑誌 (KADOKAWA)で、「俳句と歩く 最終回 どこへ消えたのか 浮田喜代子」を読みました。「私たちは昭和20年『8月15日正午、天皇の終戦の詔勅の録音放送で敗戦を知った。――あれから70年、日本は平和だと言え、8月15日の敗戦時と当時に魔法のように戦後の平和や自由が訪れたわけではなかった。――そんな「内地も戦場のあおりで生じた戦争被害者の人達の「一人」が戦災孤児であった。終戦直後の厚生省(現・厚生労働省)の調べでは、孤児12万人以上、うち推定3万5千人が浮浪児として野に放り出されたとのこと。実際にはその何倍かの数であったと言われている。(『浮浪児1945-』石井光太)。まとめて3万5千人ではなく、「一人」という人間の数え方で数えてあげたいと思うばかりだが、今もって、大まかな数でくくられる子どもたちだ。幼児から10歳そこそこの子どもが一夜にして親無し、家無し、一文無しの丸裸であの焦土に置き去りにされたのだ。みな私と同い年ぐらいの子どもたちであった。 草田男が聞いた〈浮浪児昼寝す「なんでもいいやいしらねいやい」〉という浮浪児の独白、〈何がここにこの孤児を置く秋の風〉という楸邨の憤りと憐憫、波郷の見た〈浮浪児の散りては群るゝ秋の風〉という実態、たまたま人間探究派と括られた3人の句だが、今もこれらの言葉の入った句を目にすると、最初に読んだ折の動悸と同じような動悸が甦る。――「戦後の70年」という声が聞かれるようになればなったで、彼らは今も生きているか、生きていればもう高齢か、などど思う。そんな昨秋、ノンフィクション作家・石井光太氏の『浮浪児1945―』が出版された。サブタイトルに「戦争が生んだ子供たち」とあり、オビに「どこへ〝消えた″のか?」とある。 当時を知らぬ、私の孫ほどもちがう世代の石井氏にして、よくぞと思われる取材で、読むうちにつらくなって幾度も本を伏せた。読み終えて、かつて私が子供ながらに言うに言われぬ気分で彼らの詳細を大人に聞くことができなかったわけはコレだと直感した。わたしには彼らにはいない親がいる、その親が懸命に食べさせてくれている、彼らにはそれがないのだということが、ことばにはならない重りとして私にはわかっていたのだ。
浮浪児たちは僅かばかりのいい大人と、そうでない大勢の大人に翻弄されながらとにかく生き残った。生きたというよりは、死ななかったのである。二年も三年も風呂に入ったことなどない虱だらけ垢だらけの身でどこかで何かを食べ、どこかで雨梅雨を凌いだ日々を過ごしていたのである。
生きる手立てとして、靴磨き、モク拾い、ユスリ、タカリ、スリ、新聞売り、物乞い、麻薬、街娼やテキヤの走り使いなどを、こなしてきた。女の子は早晩売春に流れる。刈り込みという一斉収容のたびに大勢の孤児たちは〈散りては群るヽ〉を繰り返す。時折、彼らを助けてくれたり、やさしくしてくれたのは、彼らと同じくらいにつらい身で生きてきた街娼やテキヤであって、彼らをもっとも怖がらせたのは厚生課の役人、孤児院の大人たち、普通の市民だったのだそうだ。
炎天へ孤児の孤影を引つぱり出す 秋元不死男
孤児にやる林檎の力手に乗せて
一人ぼっちの孤児を引っぱり出す。この日、この子は生きていた。そもそも子どもたちが一人で戦争の世を生きるということは不可能なのだ。大変とか難しい、そんなものではない。子どもって意外にしぶといなどといえたものではない。
猛火に追われ、母と水田の小道を逃避する途次、斜め後ろを行く人が焼夷弾の直撃で倒れた。事実、内地も戦場であり、死と隣り合わせだった。――70年間、空襲を受けることもなく、武器で他国の人を殺すこともなく、現在も進行中の他国の戦争を他事とし、余りを捨てるほどに食べて、ぬくぬくと着て、蒲団で寝るという暮らしに慣れてくると、そんな今がいつまでもつづくような気になる。それでいて、なんとなく厄介な空気が流れていることを多くが感じている。そんな昨今だが、かりにも次の戦争が現実のものとなったとしたら、私が受けた恐怖や惨状など、何ほどの事もないと言われかねないほどに恐ろしいもの、取り返しのつかない世界になることは必至である。
そんな思いと同じ思いで、だまって「負の昭和」を撮り続けているカメラマンに江成常夫さんがいる。――レンズが旧満州の現在の何もない空間の中にとらえているのは、そこで途絶えて埋められた「一人」、そこに残された残留孤児の「一人」なのである。――」
そのころだと思うのですが何で読んだのか忘れてしまったのですが、「兄ちゃん ラーメン食べてみたかったな。」と言ってある戦争孤児が亡くなったという話もなんだか忘れられずに記憶に残っています。
旅のテーマに江戸があるなということで、歴史の復習をしようと『忘れてしまった高校の日本史を復習する本』を読みます。江戸、幕末、明治維新と読んでいて、明治政府の中央官制の変化の表を何となく眺めていたときに、大きな扱いだった神祇官が1868~1871年まではあったのに1885年にはなくなっていました。学生の頃にその図を見たとしても、きっと特に何も思うことなく過ごしていたと思うけれど、現在は自分でも説明のつかない不思議なことがあったり、世の中の流れや時間を経てみて、長く続いた組織は腐敗するものだし、形骸化して意味をなさなくなったものもあったのだろうけれど、それだけ長く続いて守って来たものの中にはなくしてはならないものがあったはずで、それは現在のブータンが今でも保ち続けている何かとも似ているものなのではないかと思ったりしました。
国会議事堂へ。乗り継ぎで移動する距離があると思っていましたが想像以上に歩きました。地上に出て、見学の申し込みに行きます。衆議院と参議院とあり確認されますが、駅から出て近かったので、そのまま参議院の見学です。荷物検査の時、後から神社にお供えしようと開封していない日本酒を買っていたのをすっかり忘れていて、冗談なのか本気なのかよくわからない口調で飲まないでくださいねと釘を刺されたので神妙にハイと回答します。展示を見ていると時間が来て中の見学です。修学旅行は東京だったのですが、コースに入っておらず、住んでいた頃は思い浮かばなかったので初めて見学します。
参議院議場を傍聴席から見学します。いつもTVでみている感じではものすごく広いと思っていたので、思いのほか広くないと思い意外でした。何て言うか、人と人との距離が親密な距離と言うか、マイクなしでも端から端まで会話が出来そうな。下から見るとまた違うのかもしれません。
中央広間の辺りで、衆議院側から来る修学旅行生の集団がやって来たのでこちらで良かったと思っていたら、出る頃にはどちらもすごい人数の見学者に膨れ上がっていたので、早めの時間で良かったです。
都道府県の木が植えられている通りを通ります。建物正面が見える場所に到着して終了です。
そのまま道路沿いにある憲政記念館内の霞ガーデンでふわふわ卵というのにつられてオムライスをいただきます。窓の外を眺めていたら、子供達がやってきて、どんどん増えていったので、遠足で来ていたようでした。昔読んだ漫画の影響で、独断と偏見で東京の子どもは高尾山に遠足に行くと思い込んでいたので、こういう場所にも来るのだと知りました。その様子を見ていて場所柄のためか、私の子供の頃は自動販売機で水を買うなど考えられない時代で、住んでいる場所も(潜在的にはあるけれど)、自分たちの責任ではない、不安や心配がより身近にあって、きっと言葉にできないけれど伝えたい、抱えているものもいろいろあるのだろうと思いました。
2018/12/16~12/31
12/16 冬の雲子猫の左目を拭う
12/17 滑る指塗り込む懐かし 胼薬
12/18 暮早し埋れた目標読み返す
12/19 くたびれて太鼓焼迷う帰り道
12/20 冬の夕カーテン越し浮ぶツリーかな
12/21 置き場所を工夫紅白室の花
12/22 冬至の日カレーに追加する南瓜
12/23 賀状作り亥の絵溢れて時過ぎる
12/24 空見上げクリスマスイブ曲流す
12/25 クイーンの番組流れるクリスマス
12/26 冬の朝コンクリのすきま待つ子猫
12/27 カゼひきの猫に湯婆工夫する
12/28 珍しい店灯り光る初霰
12/29 年詰まるフェルトで作る亥の飾り
12/30 手を伸ばし紅白揃える冬椿
12/31 大晦日夜空5羽渡る白鷺
2018/12/1~12/15
12/1 人物が人格化するラプソディ
映画の中で甦る冬
12/2 残る蚊の姿なく力強い音
12/3 雨上り頭上に気づく寒オリオン
12/4 小春日を越えて夏日の12月
12/5 冬夕焼ブラインド抜け照らす棚
12/6 迷わずに2018この漢字
12/7 冬の蜂灯りを消して窓開ける
12/8 扉開け通路に続くポインセチア
12/9 気になった手套跡形なきセール
12/10 段違いPCの前冬めきぬ
12/11 手袋を防水にする雨の朝
12/12 短日やスカイツリーなき時重ね
曲が流れる遠景を知る
12/13 星冴ゆる星座手帳に名前知る
12/14 数え日の休日数え予定表
12/15 鳴き声に子猫見つける冬日影
2018/11/16~11/30
11/16 冬灯熱風来そうな発売日
11/17 法事ありまわり道して芒かな
11/18 冬浅しカメラの本の拾い読み
11/19 小六月就寝時間ずれて行く
11/20 風邪気味でみかんを探すあと一つ
11/21 冷やかやそのチェックの信憑性
11/22 そのままで活けられている野菊かな
11/23 冬満月昔なじみの詩を思う
11/24 銀杏散る川の向うの景色かな
11/25 冬近しまだきれいな瓶の花
11/26 枯野道情報過多に過多が乗る
11/27 勝手口棚に納まる竈猫
11/28 終わらないバックアップ時雨月
11/29 すぐに湯気立つインスタントに湯を注ぐ
11/30 夜更かしの時間の伸びる時雨月