朧月夜と春の海

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声の人

斉藤和義 弾き語りツアー「十二月~2012」

 

 どうも私は、車に乗るときにメガネが必要なくらいの視力なのに、そのことをついうっかり忘れてしまうことが多くて、この日も会場に着いてからそのことに気が付いたのでした。

 『FIRE DOG』に入っている曲からスタートして、それから、時差があってまだよく聞いてない曲が大半でしたが、アルバムと比較したりしないで聞けたのでかえってよかったかもしれません。客席の人とのやり取りもおかしくて、たぶん初期の頃のだろう珍しい電子楽器や、ギターの披露などもありました。会場は年齢の幅も広く前までは聞こえてないだろうけれど、控えめに「せっちゃん かっこいいー」「ありがとー」と、声援を送っていらっしゃる方もいました。

 なんだか間違ってねじれていたものが、あるべき場所に戻っていくような、あたたかくなるようなそんな気がしました。感想を書こうと思って、あれこれ考えていた時に、諏訪 緑の『玄奘西域記』にも、楽器の名手が登場しますが、『うつほ草紙』をおもいだしました。日本の古典『宇津保草紙』を、かなりアレンジしたファンタジーとして描かれたマンガだそうですが、日本に残る世界最古の五弦琵琶や琴や音楽を軸に展開していくお話です。その中に『生命樹の再生を果たせるのは「天籟の音」だけなのじゃ それは人の心が無私無欲 真円を描くような空洞(うつほ)になった時 宇宙にある隠れた力とつながり発動する音じゃ』『(琴の名手の仲忠が爪弾き演奏するとき魑魅魍魎も「音」を聞きに来るのですが)ただ 琴の音に触れると みな それぞれ自分の「音」を奏でるんだ そして溶けてゆく 忘れていた「音」を思い出すように うれしそうに 懐かしそうに溶けてゆく』『優れた奏者の発する音とは その奏者の心の波動 その奏者の魂のゆらめき すなわち俊華牙そのものじゃ  楽器を媒体としてみずからを鳴らすとは そういうこと  ー万物に宿る魂 それは小さな粒 もしくは波じゃ  伝説の奏者なら 自らの波動の弦で 万象の波動のげんを鳴らし 同じからざる万物にそれ自体の響きを自ら発せしめる それすなわち天籟の音 すべての粒子はその歌を歌い 絶えざる宇宙的舞踊に巻き込まれる  天籟に呼応し自らの「音」を発した魂は 花のように没我し あるべきところに鎮まってゆくー   天籟の楽 それは世の無常を慰撫する音 春の花のように心和み  刃のように鋭い音  空に響き  地に響き   心に響き  どんな怒りも悲しみも溶けてゆくような  澄みわたった音色ー 』

 誰にでも好きな音楽というのは何かあるのではないかと思いますが、私を構成しているのだろう小さな粒や波は、奏でられる音によく響くような気がしました。