朧月夜と春の海

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お伊勢参り その五

 無事、旅行を終えました。

 今回の旅行では、荷物を減らそうとシャンプーの類は持っていきませんでした。普段なるべく合成界面活性剤の入っていない商品を選ぶようにしているのですが、使い慣れない物を使ったためか、家に帰ってから手が、特に右手が赤くはれてごわごわになっていました。最近のは、さすがに昔のように変なものは入っていないだろうと思ったのですが、他に思い当たる原因もないので洗剤の影響かと思います。備え付けの洗浄剤は特に粗悪品というわけでもなく、たぶん温泉や旅館によく置いてあるごくありふれたものだと思います。一週間ほどで、元に戻りました。

     旅行に持って行った本は、新潮文庫の「可愛いエミリー(ニュームーン農園のエミリー)」モンゴメリ作 村岡花子訳です。 しばらく前にアマゾンからホコリと油に汚れた状態で届いて、そのまま積んであったのですが、合間合間に読んで、旅行が終わるまでに読み終わりました。良い本です。御神籤といえば、この本も私にとってはメッセージのようでありました。その時に特に印象に残ったのが、「10人の義人のために、ソドムは許されたんだよ」という部分と、13歳のエミリーが、カーペンター先生に自分の書いた作品を見てもらうシーンです。

 

『「それはまた、どうして。君がこれまで書いた詩や、これから書く詩を全部見せてもらっても、わたしはこれを見のがしはしないよ。ねえ、君。これは文学だよ。文学だよ、君。しかも君はまだ13なんだ。しかし、君は将来どんなことが起こるか知らない。石だらけの丘。険しい坂。虐待。落胆。もし君が賢いならは、谷間にとどまっていたまえ。エミリー、君はなぜ書きたいのかね。そのわけを知らせたまえ。」

「あたし、有名になって、それからお金持ちになりたいんです」と、エミリーは落ち着いていった。

「それはだれもそう思うがね。それで全部かね。」

「いいえ、あたし、ただ書くのがすきなんです」

「前のよりはましな理由だね。だが、まだ十分じゃない。十分な理由じゃない。ねえ、君。言ってみたまえ。もし君が一生涯、ものすごく貧乏だとわかったらーもし自分の書いたものの一行も出版してもらうことができないとわかっていたらーそれでも、君はまだ書くのをやめないかね。どうかね」

「もちろん、あたしやめませんわ」エミリーは傲然と言った。「だって、あたし書かないでいられないんですもの。ときどき書かないではいられないんです。ほんとうにそうなんです」

「うむ。それでは忠告してもむだなことだ。もし君が生まれつき、登らなければならないのなら、そうするほかはない。世の中には、丘に目をあげなくてはならない人間がいるものだ。そういう人間は、谷間では息ができないのだ。そういう人間に、登るのをさまたげる弱いところがあれば、神様が助けてくれるものだよ。君は私の言うことがわからないねーまだ。だが進がいい。登るがいい。さあ、君のノートを取って、家へかえりたまえ。今から30年後には、エミリー・バード・スターはかつてわたしの生徒だったということで、わたしも名誉にあずかる権利をうるだろう。いきなさい。さあ、いきなさい。私のことをあんなふうに書くなんて、なんていう子供だと思って、わたしが怒りださないうちに」

エミリーは立ちさった。ー

「風と、炎と、海!」と、彼はつぶやいた。「自然というものはいつもわれわれをびっくりさせるものだ。あの子は……わたしがけっしてもっていなかったのも、どんな犠牲をはらっても持ちたかったもの、そういうものを持っている。しかし、『神様はわれわれに貸しっぱなしにはしておかないものだ』-彼女も借金を返さねばならないだろう」

 夕暮どき、エミリーは見はらしの部屋にすわっていた。-

前はそんなとき、彼女は父あての手紙にそれをみな書いたものだ。しかし、今はもうそれができなかった。けれども、彼女の前のテーブルの上に、真新しいノートがおいてあった。彼女はそのノートを手もとに引き寄せると、ペンを取りあげて、その一番はじめの第一ページに、次のように書いた。

 

プリンス・エドワード島、ブレア・ウォーター村、ニュー・ムーンにて。十月八日。

 

あたしは今後、日記を書くつもりである。あたしの死後に、出版されるように。』