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朧月夜と春の海

本の記録 学習ノート おもしろかった事 その他   

『日月神示のサバイバルガイド&ナビゲーション』 ②

「高島 どんどん状況が悪化すると、今、東北の方が、元気ではないけど、一生懸命頑張っている。けれども、だんだん状況の悪さが、特に東京あたりでどんどん悪化してくるということになると、死のほうを選ぶ人たちが増えるということですね。

 生きるというのはもういい、十分生きたと。若い人でもね。どうせ苦しい思いをしてずっとサバイバル、生き残っていくよりは、ここで災害に巻き込まれて死んだほうがいいというムードが一般化したときのほうが怖いんですよね、むしろ。そうしたら、逆に変なものを引き寄せますよ。

大石 それはあるでしょうね。目に見えない、そういう力が働くから。

高島 だから、自分でいうのもなんですけど、僕は2003年に一回心筋梗塞で心停止で死んだんですよ。その時の感覚は、死って楽なんですね。苦しくも何ともない。むちゃくちゃ甘美なんですよ、死なんて。

 自分の体験をいいますと、あるところで英語の研修をやっていたんですね。そしたら、左肩がすごく重くなって、体が半分動かなくなったんで、「ちょっとすみません」と言って、5分間でも10分間でも休憩とらせてくれといって、英語を教えている会議室を出たんですよ。トイレまで結構長かったんで、トイレまではっていって、トイレにバンと腰かけたんですよ。腰かけたら、いきなり意識がブワーッと抜けていくんですね。すごい勢いで意識が抜けていく。だんだん体のコントロールがきかなくなる。そして、意識が抜けて体のコントロールがきかなくなるときに、これは死ぬなという直感があって、もう死ぬなと。

 そしたら、最初、一瞬のうちにすごい恐怖感があるんですが、恐怖感はパッと消えるんですね。どんどん楽になって、気持ちよくなるんですよ。気持ちよくなって、これでおれ、死ぬのかと思って、もしこれで人生に対して未練のない人であれば、ここで死を選択するだろうなと思うんですけど、「どうするのか」という一瞬の選択をする時間が自分に突きつけられたような感じがする。

 生き残りたいのか、生きたいのか。その瞬間ってえらい気持ちいいんだけれども、家内もいるし、家族もいるし、「とにかくおれは生き延びなきゃ、生きるぞ、生きるぞ、生きるぞ」を思ったら、ブワーッと意識がもとに戻って、体のコントロールがきくようになってくるんですね。それではうようにしてもとの会議室に戻っていった。

 ー心停止。次に目が覚めたのが翌々日くらいなんですよ。ただ、目が覚めてパッと起きたとき、「あれ、川の横にいたのに何でここにいるの?」。確かに川の横にいたんです。

大石 まさに三途の川ですね。

高島 そうですね、おそらくね。時間の感覚がまったくない。そして、川があって、川のちょうど中心に小島があってーもやがかかって何もに見えないんですよ。時間の感覚がないんで、三つくらいのことが同時平行に起こって。-人生の現場に行って追体験するんですよ。追体験するのは、一人でいることは全然ない。必ず他人といる場面しかないんですね。-

 ここであえてこういう話をするのは、死って、甘美なんです、おそらく。それほど苦しくはない。その甘美さに負けないでほしいと思う。サバイバルのほうがきついんですよ。

大石 それは結構重要な話で、要するに、日月神示でも「仮死状態」になると書いてあって、それからまた「つまみ上げる」と書いてあるんですね。だから、「死んでから生き返るように死んでくれ」というので、まさに高島さんの体験は死んで生き返る、そういう体験をね。

中矢 よく講演でもそういうことを話すんですけどね。「死ぬときは死ぬのが弥栄だ」と書いてあるんですよ。だから、死というものは恐れるものではないと思うんですね。今生、自分の生まれた使命というものがあるから、それはとにかく最大限の努力で全うしなければいけない。その上で死を迎えたとしても、それは、私はそういう体験をないけれども、たぶん甘美な瞬間になるかもしれないし、そのときはそれでいいんだ、弥栄だと書いてあるんですよ。」