朧月夜と春の海

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2018/3/11 四天王寺 大阪城

  翌日です。この日も良い天気です。 f:id:oborodukiyo22:20180311104754j:plain

 気候が心配でしたが、寒さ対策をしていてよかったという感じです。

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 この日は四天王寺へ。予定はきっちり立てていなかったのですが、ガイドブックを眺めていて、今回はここは行こうと思っていた場所です。元三大師堂からお参りします。地蔵堂です。

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五重塔です。

 

昨日のセットリストです。

  1. Anthem
  2. 徒然モノクローム
  3. Sugar!!
  4. 熊の惑星
  5. スワン
  6. Gum
  7. かくれんぼ
  8. 春の雪
  9. 電光石火
  10. 炎の舞
  11. Splash!!
  12. LIFE

13.カンヌの休日

  1. バタアシParty Night
  2. SUPER!!
  3. Surfer King
  4. 夜明けのBEAT

<アンコール>

  1. 1/365
  2. STAR

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 この日からしばらくして、結婚の報道がありました。おめでとうございます。 

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 お相手の人は、どのような人だろうと、星占いを検索していたら、玉の輿に乗る人と書かれているブログがありました。

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玉の輿に乗らなくても、昔、『有閑倶楽部』の漫画で、乗らなくても自分で作れるのではないかというようなセリフを読んだ記憶があるのですが、そういう人であるようにも思いました。

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 龍の井戸です。

でも、以前サビアンを見ていた時に、女性を表す金星や月が、やけにキラキラしたやさしい波長の人だなあと思った記憶があるので、巡り合った女性はそういう人なのだろうと思うし、そういう人との結婚ということはやっぱり、玉の輿であるようにも思いました。 

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 お祝いにふさわしい曲があるなと思って、それを聞いていたのですが、それだとちょっと違う気分だったので、熊谷幸子の『Good Morning Funny Girl』のアルバムと服部祐民子の『アドバルーン』のアルバムを引っ張り出してきて聴いていました。

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 ここにも一人、ロスになった人がいますよアピールです。昔好きでよく聞いていたのですが、今聞いてもいい曲でした。

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 丸池です。

 四天王寺のまだ新しい五重塔に登ります。 

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 亀の池です。

 隣のお堂に入ると大勢の人が並んでいて、何をしているのだろうと、門の近くの受付で尋ねると、舎利出で、こちらでも供養をしていただけるようでした。

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 この前から、よくわからないなりに、縁のあるときはそういうことをした方がいいのだろうかと思い、受付ぎりぎりでしたが最後の組でしていただきます。また来る機会があれば、もう少し早い時間に来て、お舎利を頭に頂きたいです。そういう習慣があるのか周りの人たちは熱心に供養されています。

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  六時堂と石舞台です。

 この日は311日です。『クロニクル』のLaid Backを思い浮かべます。 

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  占星術の本を読み返していて、幼い子供の認識?できる未来はへぇそんなに短いのかと、驚いた。確かに子供の頃の五才差は大きいし、何年も前、私より若いけれど、成人はしている作家さんで、すごく頭がよいと思うけれど、それでもやっぱり見えないベールみたいなものがあって、その年齢を過ぎないとわからなかったこと違う感じ方になることがあるんだと思ったことがあります。 

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 本質的なことは変わらなくても。小学生ぐらいのときの課題で、身近な大人や祖父母などに戦争体験について聞いたり調べることというようなのがあったと思う。その頃にはすでに遠い昔の出来事のように思っていましたが、最近、戦没者の供養や慰霊碑があると、そんなに昔ではなかったと感じようになっていました。子供の頃、いやらしい卑猥な昭和な感じのお姉さんの写真だと思っていたのが、じかんがたち偶然同じ写真を見て、随分幼い顔にこってり厚化粧しているなあと感じたり。  

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 桜が咲いています。

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動く気配があり、目白が来ていました。 

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 亀井堂へ行きます。お経木流しをします。どうすればいいか知らずに忘れたままにならなくてよかったです。牛王尊があり、案内をしながら動物の供養の日本最古であるというような説明をしているのが聞こえてきました。  

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 宝物館の前から、太子奥殿です。

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 『四天王寺のお話 四天王寺が創建されたのは、いまから1400余年前の推古元年(593年)。聖徳太子鎮護国家衆生救済のため仏教の守護神である四天王(持国天増長天広目天多聞天)を安置して建てたと伝えられる。』

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 宝物殿に行きます。平成30年春季名宝展 企画展「地より湧出した難波の大伽藍-四天王寺の考古学-」がされています。『2016年度より行われてきた2000点超の出土瓦の再調査の中間報告を兼ね、飛鳥から平安時代初期までの考古資料が紹介されます。館蔵の境内出土瓦290点と、講堂跡で出土した金銅製風鐸や和同開珎、奈良二彩陶器などは重要文化財に指定されており、それらは単に四天王寺の歴史だけでなく、孝徳朝の難波遷都に始まり、聖武朝の難波宮再建、桓武朝の平安京造都と、都城整備に深く関わった歴史を物語ります。四天王寺が今日まで文化と信仰の中心となり続けた、歴史を紐解く企画展となっています。』f:id:oborodukiyo22:20180311140257j:plain

仁王門です。

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 太子殿です。

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 南無阿弥陀佛の幟です。

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 旗の文字の書体が大工道具です。

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 いろんな宗派が同じ場所にあります。

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 講堂では、玄奘三蔵の事跡の壁画を見ることもできます。 

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 造幣局です。  

 地下鉄で移動し改装中で入れないけどいつかいってみようと思った美術館とまだ咲いてない桜並木の側を通って大阪城まで歩きます。f:id:oborodukiyo22:20180311152929j:plain

  大川です。

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 はるかすのミニチュアの街入る春   f:id:oborodukiyo22:20180311154650j:plain

 藤田美術館です。『玄奘三蔵絵』鎌倉時代作の絵巻物の国宝があるそうです。

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  大阪城が近づいてきました。

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 猛禽類を飼育しているらしい人が、鷹やフクロウ?を連れてきていました。

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 かわいいです。

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 お肉をあげています。

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 現在の大阪城は1997年に大改修されたあとの姿だそうです。

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 実のところ私は豊臣秀吉があまり好きではないのですが、それは子供の頃に歴史の本を読んでいて、茶々の結婚の話が載っていて、やっぱり同性の運命は気になるから、かわいそうだなぁと思って。

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仕方がないのかもしれないし、幸運なことだと思った人もいるかもしれないけれと、なんか違うと思って、それから月日がたったけれどやっぱりおんなじように感じていて。

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 天守閣内は歴史資料館になっています。以前、旧陸軍第四師団司令部だった建物は、旧大阪市立博物館になり、現在はミライザ大阪城というショップとレストランになっていました。

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 そういう思いを持っていたのにも関わらず、神社で引いたおみくじの結果は悪くなくて、銅像からも嫌な感じは受けなくて清浄な気配でした。

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 豊国神社です。

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 彫刻家中村普也作の豊臣秀吉像です。

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 御神籤は第七番 吉。

『朝夕に歩みをはこぶものなればねがわずとても我はまもらん

 遠くにあっても神様は人の真心をご存じですので、朝晩神様にお参りするつもりで感謝の気持ちを持って拝んでおりますと、必ずお恵みをくださることでございます。』

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 多門櫓です。『多聞とは松永久秀の居城「多聞城」の建物に由来する様式名。』

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 千貫櫓が見えています。『名称は石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文を出しても奪いたい」といわれたことに由来するという。』

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 生国魂神社の御旅所跡です。

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 こちらも来ることができて良かったです。

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 日暮近くなり、ひんやりしてきます。

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 鵲森宮です。聖徳太子のお作りになった神社で元の四天王寺とも言われているそうです。食事をして戻ろうと思い、寄り道していたら偶然訪れたので、何となくつながっている気がします。

創建 崇峻天皇二年(589年)

祭神 用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子

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 五幸稲荷社は宇賀御魂命を祀る日本唯一の稲荷社との由緒書があります。

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  井戸があります。

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聖徳太子ゆかりの亀井水です。

『鵲橋の話 

鵲森宮の境内には、大伴家持(おおとものやかもち)の歌碑があります。

   鵲之かささぎの 渡瀬瑠橋迩わたせるはしに  置久霜乃おくしもの    
   白気乎見者しろきをみれば 夜曽更仁来よぞふけにける 

 という『小倉おぐ百人集』で有名な歌です。出典は『家持集やかもちしゅう』です。』

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  それから、また時間が経ち、2018年5月頃に、『鬼太郎のみた玉砕』のテレビドラマをネットで見ました。子供の頃、『のんのんばあとオレ』という水木しげるの少年時代のエッセイが原作のテレビ番組を楽しみに見ていたのですが、『鬼太郎のみた玉砕〜水木しげるの戦争〜』(2007年)も印象に残っていていました。そのドラマの最後の方で、同じ軍隊の亡くなった人たちが現われる場面があるのですが、その時に、丸山(水木しげるの分身)が26年ぶりにラバウルに行ったとき笑い出し、当時丸山をいびっていた上官に、なぜその時笑ったのか問い詰められて、その時絞り出した答えが、「自分でもわかりません」「自分が元気で生きているのがゆかいでうれしゅうて」と伝えていました。その後のシーンは良い終り方でじんわりします。 

 それで、このとき、行きがけの船から降りたとき、なんだかこみ上げてきた笑いは、その時と同じような種類のものだったのかもしれないと思いました。