那覇 2014/11/3
翌日は、一度はしてみたかったスキューバダイビングに挑戦です。
この日の朝に、家から大事な連絡がありました。
よい天気です。海まで歩いていく途中にある史跡や神社にお参りします。
小学校にある上天妃宮跡の石門へは、ここに来た旅の挨拶のような感じで記念写真を撮ったのですが、家に戻ってからそこを訪れた人のブログを読んでいたところ、地元の子供にそこは幽霊が出る場所であることを教えられたと書かれていました。
私がいったときはいませんでした。でも見えないだけでいたのかもしれません。
至聖廟の門です。
天妃宮があります。航海安全の守護神です。
天尊廟です。
久米至聖廟の大成殿です。
門から入ると正面にあります。
天妃とは中国沿岸部や東南アジアで信仰されている媽祖の称号だそうです。
『久米至聖廟(孔子廟)は那覇市久米村に建てられた儒学の祖・孔子とその門弟(四配:顔子・曾子・子思子・孟子)を祀る廟です。』
中国とのかかわりが深い場所のようです。
護国寺です。中に入ってお経を上げました。
沖縄に現存する一番古い寺院です。小説『テンペスト』でベッテルハイムの居住地として描かれているそうです。
坂を登って行きます。白い階段とプレートが見えてきます。対馬丸遭難者慰霊塔 小桜の塔です。戦没新聞人の碑とふんばるガジュマルの木です。
ハイビスカスが咲いています。
海が見えてきました。波の上ビーチです。
旭ヶ丘公園の遊歩道を歩いていきます。
砂浜が近づいてきました。波上宮に道が続いています。
到着です。猫が出迎えてくれました。
お参りをします。七五三の御参りや、行事でにぎわっています。
海の側から見ると、崖の上にあります。
「当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。」
狛犬はシーサーです。儀式が始まったのでしばらく近くで佇んでいました。
那覇シーサイドパークへ向かいます。ダイビングは、泳ぐのは好きなので、うまくいくかなと思っていたのですが、耳抜きが始め良くできなくて痛くなったのですが、しばらくして大丈夫になりました。
海に落とした眼鏡を探してほしいという連絡にも快く応じるようなインストラクターに教えてもらい、海のなかをガイドしていただきました。
この日はアイドルの女の子達のコンサートがあったようで、更衣室兼トイレは、彼女達の控え室がわりにもなっていたようで、緊張した面持ちで待っていて文化祭の発表会前のような感覚を持ちました。
この場所の海は工事のため、立入禁止になっていたら自然が復活したらしく、珊瑚や豊な種類の生物がいました。
ポストに沖縄に関係した模様が描かれています。近くにスーパーがあったので寄ってみます。普段目にしない食品も並んでいてさんぴん茶など購入しました。
お昼からは首里城へ行きます。
この日は琉球王朝祭り首里「古式行列」がある日で、時間がまにあわなかったと思っていたら、昔の伝統衣装でお城の外を歩いていく行列の先頭に出会うことができました。
その後も地元のお祭りが続きすれ違いなから歩いていきます。
先触れの人達が通ります。
大きな傘持った人や、楽器を吹いて行列を知らせているような感じの人が通ります。
旗の模様が独特です。
白色毛槍を持った人達でしょうか。
若衆でしょうか。元服前の少年を美しく着飾ったそうですが、古式行列では女性が担当しているそうです。
親雲上(ペーチン)でしょうか。
琉球王朝時代を再現しているそうです。
国王の輿がやってきました。
龍が沢山います。
王妃の輿が続きます。
近習(近衛兵及び国王の世話係)が通ります。
まだまだ暑い11月です。
聞得大君の駕籠が通ります。
高級神女の行列です。
女官の行列です。涼しげな色の沖縄の衣装です。
大勢の人です。
子ども旗頭の行列が続きます。
郵便ポストに描かれていたのはこの伝統芸能のようです。
「巨大な棒を力自慢の男たちが一人で持ち上げるというのが基本的な流れ」だそうです。
空は曇ってきました。
いろんな種類があります。
棒の先にあるのはトゥールー(灯篭)というそうです。
旗頭は、長さは5から6m。重さは30~50キロだそうで、先端のトゥールーが一番重く、バランスを取るのが難しいそうです。
倒れそうになるのを支えるのは、周りに控えているガッソーという道具を持っている人たちだそうです。
見たことがない毛むくじゃらな感じと配色の獅子が通ります。
こちらの旗頭は菖蒲のようです。
首里城入口近くの堀池まで進みました。
鯉と二つ巴の灯篭です。
少年ががんばって支えています。
こちらは風水羅盤風です。
町ごとに違うようです。
強い風が吹きます。
沖縄の民謡が流れていました。
守礼門(しゅれいもん)
案内所でスタンプラリーがあるのを知り、してみることにしました。大事な場所を見落とさずに回れそうです。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
歓会門(かんかいもん)
くぐり抜けて入っていきます。
瑞泉門(ズイセンモン)
龍樋(りゅうひ)
また空が晴れてきました。
通ってきた行列のあった道が真ん中辺りにあります。
供屋(トモヤ)では、見学をしてそのまま写真を撮らずに行こうとしたら、「ここは大事な場所だったんだよ」と知らせるように鳥が飛んできて縁に止まり、中に入っていきました。
万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)のレプリカ
首里森御嶽(すいむいうたき)では、地元の方にこの場所は神聖な大切な場所と教えてもらい写真を撮っていただきました。こられて良かったです。
系図座・用物座(けいずざ・ようもつざ)
琉球舞踊が始まります。
優美な踊りです。
奉神門(ほうしんもん)
西のアザナ(いりのアザナ)
展望台です。
眺めがいいです。
四方を眺めます。
海が見えます。
京の内( きょうのうち)
西日の射す庭です。蝶がいました。
ハマイヌビワ 熱帯地方の植物です。
正殿の龍が見えています。
玉領(タマウドゥン)が見えています。
1501年に造られたと伝わっているそうです。
午後の日差しがまぶしいです。
首里城は1992年に復元され龍の装飾がされていました。
建物の外の庭の通路を歩いていたとき、なにもない場所があり、近くにいた人がそこはよくわかっていないけれど祈りの場かなにかに関係する立ち入り禁止だった場所のようなことを話しているのが聞こえてきて、興味を持ちなにかないかと目を凝らします。
先ほどの庭に戻ってきました。
正殿(せいでん。)
南殿・番所(なんでんばんどころ)
書院・鎖之間(しょいん・さすのま)と庭園
鳥が飛んできました。見た事のない鳥です。
こちらを見ています。建物はまだ新しく、展示物があります。
招かれた柵封使がこの庭園の歌を詠んでいるそうです。
書院は国王の日常の執務を行った場所で、鎖之間は王子などの控え所であり懇談する施設でした。
おせんみこちゃ
「国王と女官が毎朝、国家の安泰や子孫繁栄を祈願した場であると言われている」
御差床(うさすか)
国王の椅子で、肖像画をもとに再現しているそうです。
儀式や祝宴が行われた場所です。
床がガラス張りになっている箇所から首里城跡の石垣を見ることができます。
北殿(ほくでん)
売店やミニチュア模型があります。
右掖門(うえきもん) 外に出ると月が浮かんでいました。
日が暮れてきました。
供屋のあった場所が見えています。
久慶門(きゅうけいもん)
ここでも水が流れています。
龍潭(りゅうたん)通りを歩いていきます。
円覚寺総門(えんかくじそうもん)
その土地の風習だろうお祈りしている人たちがいました。
道に沿って、ゴールを目指す途中にガマのあとがありました。
弁才天堂(べんざいてんどう)。首里社館(すいむいかん)まで戻るとゴールです。ここまで戻ると修学旅行生が大勢います。
記念品はシールです。日が浴びたいと思い、沈みかけた夕日のよく見える場所に急ぎました。
あとから聞くと、その場所は、民間人のガマとして使われたのではなく、第二次世界大戦の時の日本軍の司令部で、なかは迷路のように複雑で機密を消すために爆破され残ってないそうです。
そして首里城は攻撃対象にされてなくなったのだそうです。
夕暮れのなか戻ります。
夜はネーネーズのライブを聞きに行きました。食事もできたので、郷土料理を選びます。前の方の席ですぐ近くで聞くことが出来ました。
後半への休憩時にこられた近くにいたお客さんは沖縄が好きで手作りの楽器を作っていて披露してくれました。
とてもきれいなおすすめの海を教えていただいたのですが、どこだったか忘れてしまいました。
聞く人ごとに違う場所の名前が挙がるので、どこかには自分にピッタリのところが必ずあるのかもしれません。
CDが販売されていたので購入しました。方言で歌われています。
ライブで聞いた曲の中には入っていなかった曲ですが、気に入って何だか笑ってしまうような記憶に残る曲がありました。
夜も賑やかな通りを歩いていきます。
楽器の人とは違う人にカラオケに行こうと誘われたのですが、いい人そうで、歌いたい気分だったのですが、朝からスキューバダイビングをして疲れているからと帰ります。知らない場所で1人で、さっきもエレベーターのところで旅行者の「幼稚園からうんぬん」という会話が聞こえてきたりして、気が張ってたんだなーと気づきました。