那覇 2014/11/4
翌日もよい天気です。
この日は三重城へ行きます。
歩いて向かっていると、タクシーの運転手さんに声をかけられ、みえじょうへ行くことを伝えたところ、ミーグスクと言われたので、そうか、城はグスクと言わねばと思う出来事でした。
近くなのでそのまま歩いていきます。
ガジュマルノキと祠と、第十一管区海上保安本部那覇信号所があるようでした。
そんなに昔ではないと思われる同じ場所のblog記事とは随分様変わりしたようでした。
その頃はまだ、祈りの場として海に面した斜面に沢山の何かの儀式やお供えらしいことがおこなわれたらしい蝋燭などの跡が写真に写っていたのですが、柵が取り付けられその場所には行きにくくなっていました。
僅かにその形跡はあったのですが、今では周りのホテルの隙間にある片隅のようでした。
でも、時期と時間が違うだけで、今も祈りの場なのかもしれません。
小さい神社があります。
地図を眺めていて、興味を持った場所だったので、この場所については後から調べました。
白い栴檀草でしょうか。
第十一管区海上保安本部那覇信号所です。なぜか気象台観測の施設と勘違いして思っていたようです。
鳥居があり階段が数段あり昇ると海が良く見えます。
猫がやって来ます。
写真を撮ろうとすると近くまで来るので顔が写せません。
柵の向こうは海です。16世紀に倭寇に対する防壁の長堤があったそうです。
猫はこの場所に詳しそうで、歩くところについてきて、ながめたりしています。
かつては、三重城の中間に臨海寺があり薩摩や中国へ向かう人々を送迎していたそうです。
現在は埋め立て地になっていて、長堤はありません。
柵の途切れたところから斜面に降りられます。
三重城のグソーの正月の新聞記事がありました。
『グソー(あの世)の正月とされる旧暦1月16日の「十六日祭」の23日、県内では家族や親戚が仏壇や墓前にごちそうを供え、先祖を供養する姿が見られた。
那覇市の三重城では朝早くから重箱や花を携えた家族連れが訪れ、宮古島や石垣島などそれぞれの出身離島に向かって供え物を並べ、先祖へ祈りをささげた。 琉球新報 2016年2月24日 』
下を覗くと崖で、海面近くに岩がありますが、その先は深そうな海です。
ところどころ台になる岩やブロックと、何かの儀式の名残があります。
今日も夏の天気です。
琉球舞踊『花風』はこの場所が舞台だそうです。
「琉歌 三重城にのぼて 手巾上げれば 速船のならひや 一目ど見ゆる
対訳 愛しい人を見送るために、三重城に上って、手巾を持ち上げて打ち振ると、船足が速くて一目しか見えない。」
『おきぽた』より
引き返そうとしていたら不思議な格好の女性が現れて、ジャーマンなんだろうかと思いつつ確認できないままその場所から移動します。
昇った階段を降ります。ガジュマルの木と水のある場所があります。
水の神が奉られた拝所です。
来た道を引き返します。行きに見かけてドアがしまっていた、戦争の写真展が今度は開いていたので、中に入ります。
沖縄での戦争の様子や慰霊碑の写真。県か作っているのか、それぞれ犠牲になった県ごとに慰霊碑があり、またひめゆりの塔以外にも花の名前のついた慰霊碑や男子学生のもあると知りました。
他にはなにも写ってなくて十字架が沢山ならんでいる写真もあり、当然のことながら、戦争の対戦国の犠牲者もいて埋葬された場所の写真でした。
写真展の写真撮影は禁止で、展示されている写真はアメリカから借りたもので、本当はもっと悲惨で残酷な写真も沢山あるようでした。
首里城のガマについても教えていただいたのはこちらで、沖縄の方言は、平安時代かいつごろだったか、却って昔ながらの日本語が残っているともお聞きし、面白いと思いました。
この日は、帰る日です。
時間に間に合うように空港に向かいます。
売店で珍しい山羊のミルクや紅いもソフトなど売られていて食べてみました。
帰りは晴れていて、出発してからや着陸が近くなると地上がよく見えていました。
もうすぐ到着です。
稲刈りの終わった田が見えています。なじみのある11月の景色を上空から眺めます。
無事、旅が終わりました。