朧月夜と春の海

本の記録 学習ノート おもしろかった事 その他   

2016/6/11 6/12の記事記入後の追記④

 なんだかよくわからないけれど、あれはすごかったなあということについて。

  不思議なよくわからないことがあって、でももうその頃のことは記憶があんまりない。漠然としたままであるけどわすれてしまう前に書いてみる。

  昔は、修験者がほら貝を吹いて干ばつに雨を降らせたとか海には魔物がいるとかは、あったとしても昔話で不思議なファンタジーや自分には関わりのないどこか遠くの世界の事のように思っていたけれど、今はそうではなくてあると思っていること。

書けば書くほど信憑性がなくなりそうな話。

 

2001位まではテュマレスト・サーガのシリーズ『夢見る惑星フォルゴーン』 にあったテレパスのデライが恐怖に晒され受けてきた強力な支配欲や圧力。利用するための何かを受信して逃れようとしていた感じ。

2008年はなんだか警報がずっと響いているような凄まじい不安みたいなもの。

私がミレニアム版幻魔対戦と呼んでいるような現象。修験僧の人の漫画を読んでいたとき(『霊験修法曼荼羅②』)に妖怪大戦争という言葉がちょこっと出てきて内容は語られてなかったけど同じような体験をしたのかと思ったこと。このマンガは2011年5月号からスタートしているのでそれ以前の出来事だと思います。

出雲大社の神官の人の2013年の遷宮の時の大変だったという話は、見えないけどある本当のことだと思ったこと。

指輪物語の映画(『ロード・オブ・ザ・リング』2001年『二つの塔』2002年『王の帰還』2003年)の妖精の女王が自分のエネルギーを使い果たすまで戦ったことや、ハリーポッターの世界で起こっていたような事、『インモータルズ 神々の戦い』2011年、その他ファンタジーの形で表現されてきたことは異なる重なった次元で実際に起こっていたことと思うこと。

 これは書こうかどうしようか随分考えたのだけど、2017年は、霊界通信で届を出したこと。妄想と言えばそうだけど、想像と言えばそうだけど。私の持つ結婚するというイメージが、ノーマン・ロックウェルのマリッジライセンスだからか、そういうことで。場面は日本の良くある役所のロビーだったけれど。そういうことは、どちらでもいいことだけど、自覚がないままよりあるのがいいでしょうと言うような感じで、それでも迷って考えようとうろうろするんだけれど、なんだか余裕だなという感じで待ってて、結局半日ぐらいで決断して記入したのでした。一方的な私だけの思い込みでもないのではないかと思われます。イメージとしても、密教の秘術を使う時それが重要な役割をはたしているようですし、ヨガの本(『秘伝アルマツボ刺激ヨーガ』)を読んでいたら、「強力なイメージは現実と同等の実在だと考えていました。いや、それ以上に精妙なレベルでの実在と考えていたふしさえあります。」と書かれていて、私にとってはそういう実感のあるうれしいなあと思った出来事でした。2017年2月の終わりぐらいかな。その頃は異なる世界の境目が薄くなっていた時期なのではないかと思います。書いたことで誰かに迷惑がかからないといいのですけど。そういうことをして、大丈夫なのかと言えば、私のつけたあだ名の一つがパードレなので霊的にむしろ安全なのではと思います。呪術的な攻撃があったときや、何か見えない世界的に誰かに何かに道具みたいに使われそうになったときに既に契約している存在があるのは守護になるのではないかと思いました。あの世に行ったとき、私が地獄に落ちてたら、天使学校上級生になりすぎて、ごめん、そんな低いところ降りていけない、と言われそうだけど。まず最初にかけよるのは、海辺の青春カップル達かもしれないけれど。

 その頃、『ムー』の過去の雑誌を読み返していて。2011年4月号だったのですが、「スナミちゃんの超能力研究室/第4回」で、子供の頃天井裏で遭遇した不可思議な爺さんの話がありました。叱られて押入れに閉じ込められて天井裏に隠れた時出会ったそうです。『……ボロ布を着た白髪の老人が笑顔で座っていた。しかも、背丈が80センチ足らず。「坊や、また叱られちまったか」 人間離れした風体。こんな爺さんがいるはずもない。ありえぬこと、と頭で思うのだが、妙にスンナリと違和感もなく、一瞬でその存在を受け止めてしまった。「世の中、エエコトばっかあらせん(いいことばかりではない)しゃあないがや。ヒドイ目にあわんと、人間は成長せんがや」 純粋な名古屋弁が、フーッとこころにしみこむ。--「わし、棲んどりゃせんがや(棲んではいない)。オミャー(お前)が泣いとるで(泣いているから)慰めにきたった(きてやった)だけ。わざわざ親切心でよォ」 それからいったい何を話あったのか、懸命に記憶を探るが、皆目覚えてない。気がついたら、押入れの布団に埋もれて、僕は泣き寝入りしていた。』そうだとしてもなんだかかなしいこともあるな。

 

 それらから推測するに、何が狙いだったのかよくわからないけれど、霊能力とかまじないの才能というようなものを利用するためだったのだろうか。もしそうだとして、だったら、私はかつて1度使い果たして、2006年ぐらいだろうか。よく覚えていない。このまま消えるのかなと風前の灯火みたいになったことがあるし、2011年ぐらいも消費してライフゼロぐらいだったのを他の人に分けてもらったのだろうとおもわれ、かろうじてのようになって、2015年ぐらいにようやく何とか人心地つくくらいに回復してきた感じかもしれない。私はそのようなことにたいしてちゃんとした教育を受けたことはないし、自分に関わりのあることと思ったことはないし、修行を積んできたわけでもない。どちらにしろデライにたいして、行われてきたような行為をかけてきたような存在が私にとってよい存在な訳がなく、利用される気はないし、どちらにしろ何をするにしても必要十分なだけのエネルギーは戻ってないだろう。